2024年12月4日放送 1:36 - 2:36 NHK総合

世界熱中ひとり旅
佐々木蔵之介×南イタリア 十字軍 平和を築いた異色の皇帝

出演者
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(オープニング)
佐々木蔵之介×平和の旅

有史以来、人類とともにあった戦争。歴史上の「英雄」と呼ばれる者はほとんどが戦争に明け暮れた者ばかり。どの戦争にも必ず終わりが訪れてきたがその裏には平和のために暗躍した孤高の英雄たちがいた。勝つことよりもはるかに難しい平和の実現のために人類がなした奇跡の瞬間に迫る。

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アレクサンドロス大王始皇帝

佐々木蔵之介が南イタリアを旅する。訪れたのは八角形の形をした白亜の城。11世紀に勃発したキリスト教とイスラム教の宗教戦争は決着をみないまま200年にわたって続いた。その間、キリスト教側とイスラム教側が戦争をしないと誓った10年があった。立役者は神聖ローマ皇帝フェデリコ2世。八角形の城はフェデリコ2世が建てたものだった。

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フェデリーコ2世十字軍映画「十字軍」
佐々木蔵之介が行く 南イタリア
神のための戦争 十字軍

佐々木蔵之介が南イタリアを旅する。旅の出発点は南イタリアの港町プリンディジ。青く美しいアドリア海に面した穏やかな町だが、中世時代、ここから聖地エルサレムを目指し十字軍の船が出発していた。十字軍の始まりは1096年。当時急速に拡大していたイスラム勢力に脅威を感じたキリスト教国家ビザンツ帝国がローマ教皇ウルバヌス2世に助けを求めた。ウルバヌス2世は各国の王へ「キリストからの命令」と称し戦争への参加を呼びかけた。また、「異教徒どもとの戦で命を落とした者は皆生前の罪を許されるだろう」とも言い添えた。当時、教皇の権威は絶対。ヨーロッパの各国から集まった十字軍はキリストが埋葬したとされる聖地エルサレムを目指した。この時のエルサレムはイスラムの支配下にあった、イスラム教徒にとってもエルサレムは開祖ムハンマドが天に上った場所「岩のドーム」がある聖地だった。十字軍はエルサレムを突如襲い、イスラム教徒を殺害していった。

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十字軍の兵士が遠征前に必ず訪れたというサン・ジョバンニ・セポルクロ教会を訪問。入口にはキリスト教徒が手をつなぎ踊っている天国のレリーフや鳥がイスラム教徒の耳を啄んでいる彫刻があり、兵士たちの士気を高めたという。教会の外壁には当時の兵士たちが刻んだ十字の印が未だ残っている。長い時は3年以上遠征が続いた十字軍の兵士たち。プリンディジの老舗のパン屋では当時の兵士たちが食べていたパンを再現している。試食した佐々木は固くて味がないと話した。遠征に持っていくため2度焼きして水分を飛ばしたパンを当時は海水に浸してから食べていた。現在はトマトとたっぷりのオリーブオイル、香辛料をかけ食べられている。現在の食べ方で試食した佐々木は「めっちゃおいしくなってる」とコメントした。

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一方、イスラム側は十字軍の侵略に徹底抗戦。120年間に5回も派遣された十字軍は一度はエルサレムを奪還したが再び奪い返され、戦争はやめるにやめられない泥沼と化していった。1227年の第6回遠征を率いたフェデリコ2世はそんな戦争の様相を大きく変えた。

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異色の皇帝フェデリコ2世 十字軍 平和への軌跡

地中海を代表する商人の町・シチリア島パレルモ。フェデリコ2世は17歳までこの町で育った。当時シチリアを治めていたのはアラブの人々。シチリア島はギリシャ人、アラブ人、北欧のノルマン人など領主を変えながらそれぞれの文化を吸収し独特の文化を築いてきた。子羊や牛の内臓を焼いたギリシャ由来の料理「スティギアラ」、牛の脾臓を煮込んだアラブ由来の料理「ミルツァ」を佐々木が試食。どちらも美味しいとコメントした。フェデリコ2世の母はシチリアから南イタリアまでを治めたシチリア王国の女王。王国の文化を知るためパラティーナ聖堂を訪問。王室のための礼拝堂には黄金のモザイクと鮮やかな色で一面に描かれた聖書の物語や聖人たちの姿がある。シチリア王家はアラビア人も役人として登用しており、礼拝堂の天井にはアラビア文字も確認できる。聖堂の地下にはキリスト教の聖人にまつわる品々が保管されているが、箱の外側には鷹狩りの絵が。鷹狩りはそもそもアラビアで盛んだった風習で、フェデリコ2世も好んで行っていたという。

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フェデリコ2世は18歳の時、ドイツで神聖ローマ帝国の皇帝に即位。父が神聖ローマ帝国の皇帝だったフェデリコ2世はドイツからシチリアまで広大な領土を支配することになった。即位の後ろ盾となったのはローマ教皇で、十字軍を率いることを誓わされた。戴冠後はシチリアを出てイタリア半島に住まいを移し「ルチェーラ」という町を築いた。フェデリコ2世の宮殿跡からはアラビア文字が描かれた水差しなどが見つかっている。イスラムと戦うと誓ったフェデリコ2世だったがシチリアから多くのイスラムの人々を移住させともに暮らしていた。1227年、いよいよ十字軍を率いることになったフェデリコ2世はエルサレムとは反対方向のポッツォーリへと進み湯治に明け暮れた。出発から1年たってもイタリアから出ようとしない十字軍に教皇グレゴリウス9世は激怒。フェデリコ2世を破門した。それでも進軍させなかったフェデリコ2世は当時のアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルと頻繁に手紙のやりとりをしていた。二人は哲学や数学などの学問を通し交流を深め次第に互いをたたえあう仲になっていった。

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手紙のやりとりをすること3年、1229年2月、フェデリコ2世とアル=カーミルは突如驚きの合意を発表する。主な内容は2つで「10年間の不戦」「エルサレムの明け渡し(イスラムの聖地を除く)」。合意の翌月、フェデリコ2世はエルサレムに入城し無血での開城を果たした。ヨーロッパ中世史研究の第一人者フルビオ・デッレ・ドンネ教授はフェデリコ2世について「歴史上こんなに並外れたリーダーはいません。戦争状態のなかでは武器を取ることより武器を捨てるほうがはるかに難しいですから」などと評している。

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異色の皇帝フェデリコ2世 奇跡の平和がもたらした”恵み”

フェデリコ2世は無血講和で約束された10年の間、イタリア・メルフィに足繁く通った。講和の2年後発表したメルフィ法典ではヨーロッパで初めてカトリック以外の信徒も法の庇護を受けられることを明記した。これによりギリシャ正教徒やユダヤ教徒が皇帝側につくことに。生涯3度も破門されたフェデリコ2世だったが味方に困ることはなかった。メルフィ法典は「貧しい人に国選弁護人をつける」「女性に結婚を拒否する権限を与える」など当時としては画期的なものだった。また、フェデリコ2世は専門の大学を出た医者と薬学者しか医療に携われないようにし、10年の平和の間に医療は民間療法から医学へと大きく進化した。さらにエルサレムでの講和の後、フェデリコ2世は飢饉対策としてアラブ原産の栗を持ち帰り、メルフィ法典で規則を定めるなどして貧しい人々のための食料の確保に努めた。

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平和で豊かな世を築こうとしたフェデリコ2世は八角形の城「カステル・デル・モンテ」を築いた。塔の形や外観に至るまでて徹底して八角形にこだわった城で、アントワープ大学のアンドレ・デ・ナイヤール名誉教授はエルサレムに建つイスラム教の聖地「岩のドーム」の形を模すことでイスラム側との講和の証として建てた城なのではないかと推測している。フェデリコ2世はカトリックが禁じたイスラムの最先端の学問を次々と導入。天文学や建築学が一気に発達した。カステル・デル・モンテにある大きな吹き抜けは音楽をこよなく愛したフェデリコ2世が音の響きを楽しむために作ったとも考えられている。リュートなどアラブの楽器を積極的に導入し音楽を楽しんでいたという。フェデリコ2世は今、幼少期を過ごしたパレルモの教会の棺で眠っている。

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(エンディング)
エンディング

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