TVでた蔵トップ>> キーワード

「アンギアーリの戦い」 のテレビ露出情報

ダ・ビンチの日記は家族にほとんど触れていない。しかし父親の死は「1504年7月9日水曜日7時 我が父ポデスタ公証人 セル・ピエロ・ダ・ビンチ死す 80歳 10人の息子 2人の娘を残す」と記している。ダ・ビンチはフランス軍の侵攻で親友のルカ・パチョーリと共にマントバに避難。その後、フィレンツェに戻ったダ・ビンチは1500年頃にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会で聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネのドローイングを描いたとされる。幼児のキリストを抱く聖母マリア。聖母マリアは母の聖アンナの膝に座り、一番右に幼児の聖ヨハネがいる。ダ・ビンチ研究の第一人者パランティ氏は「聖アンナの視線が怖く描かれ、この絵がレオナルドの苦悩の表れだと言われる。当時のレオナルドの人生が決して楽な時期ではなかったことも関係している」と話す。ダ・ビンチが父親に認められたい思いで制作していた巨大騎馬像。それを無惨に壊された怒り。本来であれば安らぎを与える題材にも関わらず、見た人が恐怖心を抱くほど絵を描いた時のダ・ビンチの心はすさんでいたという。その父親の死と同時期にフィレンツェからの依頼で描くことになったのがアンギアーリの戦い。ダ・ビンチは1人しか死んでいないアンギアーリの戦いをなぜ恐ろしい表現で描いたのか。パランティ氏は「レオナルドは実際には戦争ではなく小競り合いだったと言っている。しかし後世に書かれた本を読む限りレオナルドは戦争の残虐性や恐怖を戦争を愚かな行為として警告するために教訓として描きたかった」と話す。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月19日放送 16:00 - 16:55 テレビ東京
レオナルド・ダ・ビンチ 幻の名画に隠されたメッセージ(レオナルド・ダ・ビンチ 幻の名画に隠されたメッセージ)
ルネサンス期の政治思想家・マキャベリが1532年に書いた本によると、実際のアンギアーリの戦いでの戦死者は落馬した1人だったという。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.