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「インドシナ戦争」 のテレビ露出情報

インドシナ戦争で最後の激戦地となったベトナム北西部の町では今週、フランスに勝利したディエンビエンフーの戦いから70年を祝う式典が行われた。難攻不落といわれたフランス軍の要塞をベトナム側がゲリラ戦術で攻略し、植民地支配を終結させた戦いに加わっていた日本人がいた。ハノイに住むチャン・ドゥク・ズンさんは、残留日本兵の父親とベトナム人の母親の間に生まれた。先の大戦当時、今のベトナムには10万人近くの日本兵がいたとされている。大半は日本に引き揚げたが、さまざまな事情から数百人が残っていたと見られている。その中にベトナム側から請われ、フランスからの独立運動に加わる人たちがいた。ズンさんの父親は、フランス軍との戦闘に参加し、その功績をたたえられたという。一方で、家族はその後の歴史に翻弄されてきた。1950年代に入るとベトナムでは中国からの軍事支援が本格化。残留日本兵は次第に第一線から外され、半ば強制的に日本に帰国させられた。妻子を連れて帰ることは許されなかった。ハノイに住むグエン・ティ・フオンさんは、残留日本兵の娘として生まれた。父親はベトナム人の部隊に所属し軍事訓練に当たっていたが、フオンさんが6歳のときに突然日本に帰国することになった。父親がいなくなったフオンさんたちは厳しい状況に直面する。こうした中、2005年になって残留日本兵の調査をしていた日本人を介し父親から連絡があった。離れ離れになってから50年余りの時を経て、数日間ではあったが再会することもできた。しかし、そうしたケースはごく僅かにとどまっている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月23日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1945年、当時26歳のロバート・マクナマラは陸軍の統計管理局で太平洋戦争を指揮していた。ハーバード大学院を卒業後、最年少で助教授となった経歴を持つマクナマラはその明晰な頭脳を活かして1つの作戦を提案する。それは、低コストかつ安全、効率的に日本を攻撃するため、高度1万mを飛行できるB-29で無差別爆撃を行うというものだった。マクナマラによるこの提案は効果を発[…続きを読む]

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