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「ウィーン(オーストリア)」 のテレビ露出情報

フジコ・ヘミングは16歳の時に中耳炎をこじらせて右耳の聴力を失ったが、左耳を頼りにピアノを続けた。東京藝術大学に進み、21歳の時に音楽コンクールで入選を果たす。西ドイツへの留学の手続きをしたところ、無国籍者となった。戦後の混乱のなか国籍選択の手続きをしていなかったためだった。国外に出られなくないと言われたが、彼女のファンだったドイツの対しが手続きをしてくれてドイツに行けたという。29歳で避難民として西ドイツへ渡った。ドイツの新聞で「ショパンとリストのために生まれたピアニスト」と紹介された。ウィーンへと拠点を変えると、レナード・バーンスタインらの目に留まり1969年にピアノリサイタルを開くことになった。しかし直前に高熱を出し左耳にもダメージを受け、コンサートは中止となった。その後大きなチャンスが巡ってくることはなく、ドイツで1人ピアノ教師として生計を立てた。その後母の死がきっかけで1995年に34年ぶりに帰国。1999年に「奇蹟のカンパネラ」が大ヒットとなった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月14日放送 2:41 - 3:35 NHK総合
ヨーロッパ トラムの旅(ヨーロッパ トラムの旅)
オーストリア ウィーンを走るトラムの車窓からの映像と風景が流れた。

2025年4月30日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
蔵出しセレクション。今回はフジコ・ヘミングさん。去年4月、92歳で亡くなった。今回はまた違ったフジコ・ヘミングさんの一面を紹介。ピアニストとして激動の人生を送ったフジコ・ヘミングさんの貴重な映像。
魂のピアニストと呼ばれたフジコ・ヘミングさん。代名詞となったラ・カンパネラの演奏は多くの人の心を揺さぶった。昭和6年、ベルリンで日本人の母とスウェーデン人の父の[…続きを読む]

2025年4月19日放送 13:50 - 14:50 NHK総合
土スタクラシックTV 特集
本場でウィンナ・ワルツに挑戦した鈴木愛理さん。「大変でしたよ。もう1時間しか時間がない中で。ウィーンの方ってワルツの足元が高校生のときに1度通るんですって。根付いているものを1時間で習得して。なんかもう全ての能力を使った」などと話し「決まった譜面では表せないグルーヴがあって、それを体験しにいった感じだった」などと振り返った。ウィーンで印象的だったことを聞かれ[…続きを読む]

2025年4月19日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
ピアニストのフジコ・ヘミングさんは、スウェーデン人の父と日本人ピアニストの母のもとに生まれ、母にピアノを習った。フジコさんは16歳のときに右耳の聴力を失ったが、NHK毎日コンクールに入選した。フジコさんはベルリン国立音楽大学に留学したが、38歳のときに両耳の聴力をうしなった。フジコさんが出演したドキュメンタリー番組が反響を呼び、アルバム「奇蹟のカンパネラ」が[…続きを読む]

2025年4月13日放送 18:00 - 18:30 TBS
世界遺産美しきドナウの真珠ブダペスト
オスマン帝国に占領されたブタペストではマーチャーシュ教会が当時モスクに改造されていた。その占領が終わるとハプスブルク帝国の占領下となるがこの教会でハンガリー王の戴冠式が行われ、フランツ・ヨーゼフは2つの国の王となった。自治権を得て街の人たちは草花模様を多くするなどハンガリー風に変えていった。そして独立を象徴するとものとして「国会議事堂」が建築された。ブダペス[…続きを読む]

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