カテリーナ・ノヴィツカはウクライナを取材すると、手や足を失った障害者たちの姿をよく見かけたという。カテリーナ・ノヴィツカが訪ねたのはウクライナの戦傷者の医療施設。それぞれが社会復帰を目指しリハビリを行っていた。しかし社会復帰しても困難が待ち受けている。ウクライナの町はバリアフリーには程遠い状況。さらに戦争による障害者は周囲の反応に傷つけられることもある。医療施設責任者のオルガ・ルドネヴァさんは、義手・義足を付けた人や手足のない人を街で見ることにウクライナの人は慣れていない、知らないから受け入れられないと語る。なぜウクライナの人は障害者を見慣れていないのか。旧ソビエト時代では、障害者は国家に貢献できないと社会から切り離され、人目のつかない郊外の施設に収容されるのが一般的だった。ウクライナ国立科学アカデミーのハンナ・ザレムバ・コソヴィッチさんは、障害のある子どもが生まれた親は医師から”子どもが死んだ”と言われたり、育てられないから施設に預けるようにと勧められたりしていたと説明した。こうした状況を変えようとしているのが、キーウに住むヴラディスラヴ・イェシュチェンコさん。3年前、爆発で両目を失い、耳もほぼ聞こえなくなった。障害者を理解してもらおうと動画で発信することにした。更に学校での講演活動も行うことにした。カテリーナ・ノヴィツカは、兵士は凄くリスペクトと感謝をされているが、ウクライナの人は私も含めてこれまで障害者を目にする機会がほとんどなく、その対応で戦争で障害者となった人が傷つくことが同時に起きていると説明した。