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「エゴン・クレンツ」 のテレビ露出情報

1989年、国民の怒りが爆発した結果、クーデターが勃発。東ドイツの指導者として在任していたワンマン指導者エーリッヒ・ホーネッカーが失脚した。その後、No.2だったエゴン・クレンツが新たな指導者に就任した。新体制のもと、広報を担当していたのがシャボウスキーら。東ドイツは「改革」を掲げて生まれ変わる姿勢をアピールする必要があったが、実際は「とりあえず、それっぽい案を出して乗り切ろう」という空気が強かった。改革の最大の争点は、東から西への出国問題。旅券担当のラウターは、まだ正式決定ではないたたき台の資料を作成。しかし、その資料が提出された会議でクレンツは十分に確認せずにスルー。さらに、シャボウスキーは会議に遅刻し、資料をよく読んでいなかった。クレンツはシャボウスキーへ記者会見はこの資料を呼んでもらえれば大丈夫と伝えた。そして会見で、シャボウスキーは「東ドイツからの旅行は、ただちに認める」と発言してしまう。これをきっかけにベルリンの壁が崩壊。ここまでの教訓は「新体制で「縦割り仕事」はNG!どんなに面倒でも資料は読み込んで他部署とコミュニケーションを取ろう」。

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