数日後ポツンと藤原さんの家を再訪。自宅は昭和26年に建てられた築73年のもので親の代に建築。最初は柾屋根のみだったが鉄板の屋根を1回張って、そのあとに長尺銅板を張って30年くらい経ち、3年前に塗装を自分で行ったという。外壁も2色あり、色が違う部分も藤原さんが直したという。大工経験はなく真似事で直したという。母屋の近くにあるのはホームポンプで公共水道がきていないため、水を引っ張ってきて地下水を組み上げている。電気は70年近く前に開通。その前まではソフトランプの灯りで将棋指しをやっていたという。家はもともとは農家で敷地全部が元畑で大豆などを栽培していて、味噌・醤油なども手作りしていた。当時、町には距離は40kmほどで徒歩のため年2、3回ほどでのみ。父は山稼ぎに出ていたという。藤原さんは9人兄弟で六男、長男とは21歳差あり、記憶する前に結婚していたという。上の兄姉は皆結婚などで外に出たため藤原さんが跡継ぎになった。仕事は酪農で乳牛を6、7頭を飼育していたが収入が見合わないことから47、8年前に廃業し林業に転業。現在はチェンソーを使うが手で鋸を使って手切りしていた。
コンテナは倉庫で通常の家だとネズミが入ったりするが地面から浮いているため入れないため便利。コンテナは中古で持ってきてくれたという。倉庫にはチェンソーに使うオイルなど林業の道具類などが保管されている。車庫には重機を入れるのに友達に手伝ってもらい手作りで建てたが2回ほど風でひっくり返ったという。強風対策としてロープで砂袋が吊るされてる。車庫にあるバギーは2台あるが遊ぶためであるなど話した。孫は10~11人ほどいて、一番小さい孫は小4くらいで20歳過ぎてる孫は3人居て、あんまり来なくなったという。ブルドーザーは除雪用である。畑内には鹿の角が落ちており、孫たちが拾って来てこれで遊んでいたという。エゾシカは3、40頭ほど出没していたという。
翌日の午前5時、林業の仕事で毎日早朝で出勤、間伐作業を請け負う山へ同行。
コンテナは倉庫で通常の家だとネズミが入ったりするが地面から浮いているため入れないため便利。コンテナは中古で持ってきてくれたという。倉庫にはチェンソーに使うオイルなど林業の道具類などが保管されている。車庫には重機を入れるのに友達に手伝ってもらい手作りで建てたが2回ほど風でひっくり返ったという。強風対策としてロープで砂袋が吊るされてる。車庫にあるバギーは2台あるが遊ぶためであるなど話した。孫は10~11人ほどいて、一番小さい孫は小4くらいで20歳過ぎてる孫は3人居て、あんまり来なくなったという。ブルドーザーは除雪用である。畑内には鹿の角が落ちており、孫たちが拾って来てこれで遊んでいたという。エゾシカは3、40頭ほど出没していたという。
翌日の午前5時、林業の仕事で毎日早朝で出勤、間伐作業を請け負う山へ同行。