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「オルドス市(中国)」 のテレビ露出情報

中国・内モンゴル自治区西部にあるオルドス市。市内にはモンゴルの子供たちが多く通う民族学校がある。中国の国歌が流れる校庭で敬礼する子供たち。校舎には「中国語を話そう」というスローガンが掲げられていた。抗議活動に参加したという人に話を聞いた。モンゴル語による授業はここ数年で大幅に削減されたという。モンゴル語による授業削減という中国政府の方針に抗議して、辞職した教師もいたという。モンゴル族の子供が通う民族学校の教師(漢族)は、授業の変化を「小学1年生は全部中国語。モンゴル語の授業は少しはあるが他は全部中国語で教えている。ここ数年で教育改革が行われた」と証言した。授業が減った影響ははっきりと表れていた。変化が起きていたのは、学校だけではなかった。街なかではモンゴル族の文化を保護するため併記されていたモンゴル文字の表記が少なくなり、漢字のみの看板が並んでいた。モンゴル文字を併記しなくてもよくなったという。内モンゴル自治区で急速に進む漢族への同化政策。その影響は、世界史上最大規模の帝国を築き上げたモンゴルの英雄・チンギスハーン。中国・内モンゴル自治区・オルドス市内にはチンギスハーンが眠るとされる廟がある。中国で消えるモンゴル語。失われゆくモンゴルのアイデンティティー。危機感を抱いたのは隣の国モンゴル国で暮らす人々。
2020年、中国国内での抗議活動に呼応するようにモンゴル国でも「モンゴル語を守ろう」というキャンペーンが展開され、瞬く間に世界各地に広がった。キャンペーンを主催したNGOは中国政府の弾圧から逃れてくる内モンゴル自治区の人たちを助ける活動も行った。NGO「言語を守ろう」・バーサンジャルガルさんは「モンゴルでは命より名誉が大事。名誉とは“言葉や文化を守り抜くこと”。命をかけてモンゴル語を守る」と語った。市民たちも中国の状況に胸を痛めていた。モンゴル国で暮らす人々の多くはモンゴル文字が読めない。長らく旧ソ連の強い影響下にあったため、1940年代、モンゴル文字に代わり、ロシアで使われているキリル文字を導入したから。街でみかけるのはキリル文字ばかり。モンゴル文字はほとんどない。中国国内で進む急速なモンゴル語消滅の動きは、モンゴル政府の後押しすることになった。言語政策国家委員会・ナランゲレル事務局長は「2025年1月1日からモンゴル文字とキリル文字で公文書を作成することを決めた」と語った。今年1月から公文書でモンゴル文字を使うことを義務づけることになった。モンゴル・ウランバートル市内で暮らす男性は、日本に3年間留学し、今は日本人観光客向けのガイドをしている。男性は今、独学でモンゴル文字を勉強している。モンゴル文字を使い続けてきた中国の内モンゴル自治区は、文字や文化が保存されている特別な場所だったと男性は考えている。モンゴル国で暮らすモンゴル人は、約330万人。一方、内モンゴル自治区には約400万人。もし内モンゴルからモンゴル文字が消えてしまったら。危機感は強い。政府は今後、公文書だけでなく道路標識や看板などにも徐々にモンゴル文字を広げていく方針。80年ぶりのモンゴル文字復活の動きは教育現場でも広がっている。小学校6年生〜高校3年生が週2回、モンゴル文字を学んでいる学校の先生の悩みは、日常生活の中でモンゴル文字に触れる機会が少なく、生徒がすぐに忘れてしまうこと。それでも生徒たちは、自らの民族の歴史と文化を再確認するように積極的に学んでいる。忘れられたモンゴル文字を取り戻そうとするモンゴルの人々。モンゴルで始まったモンゴル文字の復活の動きは一度失った言葉を取り戻すには長い年月がかかることを教えてくれる。
モンゴルの歌を歌う元小結・旭鷲山も、モンゴル文字を読むことができない。旭鷲山は「モンゴルという国の文化の一番のポイントは言葉から始まるので、モンゴル文字は忘れちゃいけない」と語った。民族のアイデンティティーである言葉を巡って揺れる2つのモンゴル。守っていくことの大切さと難しさを今かみしめている。旭鷲山は「日本の言葉で話しているのが、本当に羨ましい。当たり前かもしれないが、僕らから見たら、そうではないところがいっぱいある。国にとって一番大事なのは“言葉”と“文字”」と語った。

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