浅木には時間がない。何よりも故障を減らす必要があった。馬力は上がったが部品が耐えきれていなかった。半分以上のレースでリタイアしていた。浅木は、同じ会社のジェット機に使われるエンジン、その技術を生かした設計に変更せよと命じた。しかし開幕戦、マシンは白い煙を上げて止まった。理由を調べると技術者たちは浅木に知らせず設計変更を先送りしていた。設計チームの若手は「軽自動車の浅木にいまのF-1がわかるはずはない」と反発していた。浅木は若手の反発は面白いと毎日、現場に出て、技術者たちに声をかけた。議論を交わし実際に試してみる。どちらの意見に分があるか真剣勝負が始まった。年齢も上下関係もなくやり合いながらモーターの故障を減らしていった。浅木の着任から3ヶ月後、高橋真嘉はエンジンからすごいデータが出たと報告。高速燃焼、勝つにはこれをいかすしかない。しかし高速燃焼は暴走してパワーユニットを壊すキケンがある。それでも浅木は「すぐにレースで使え、俺が責任を取る」と田岸に言った。若手たちは何百枚もの設計図を書いた。角田は全てに目を通しさらに上を目指せと改善点を打ち返した。4ヶ月後、高速燃焼の制御に成功。浅木のもとでチームは一丸となっていた。2019年、年間22のレースのうち3つで勝利。浅木たちのパワーユニットは世界を狙えるところまできた。しかしその矢先、浅木は本社から新型コロナの影響で800億の赤字が出ている。来年F-1から撤退すると告げられた。