- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 浅木康昭 田岸龍太郎 角田哲史
2021年、世界最速のレースで日本のホンダが再び頂点に輝いた。かつて英雄アイルトン・セナを乗せ圧倒的な強さを誇ったチーム。復活の陰には世代を超えて、世界一を夢みた技術者たちがいた。
オープニング映像。
森花子らの挨拶。本日はF-1マシンにかけた技術者たちの物語。2021年、ホンダが30年ぶりに世界一に輝いた時のマシンを紹介。パワーユニットは電動モーターが組み込まれたハイブリッドエンジン。パワーユニットは義務付けられたが技術が複雑で開発に手こずったという。
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- 本田技研工業
1960年代、ホンダの創業者・本田宗一郎はまだ1台も車を売ったことがないのにF-1に参戦すると発表した。3年後、宗一郎と若き技術者たちはゼロからマシンを作り勝利。会社はこれをきっかけに大企業への道を歩み続けた。1981年、1人の24歳の浅木泰昭がF-1に挑もうとしていた。当時の開発はほとんど20代。F-1で勝つためならなんでも言い合えた。1988年、ホンダは最強のエンジンを作り上げ16戦15勝となった。しかしホンダはバブル崩壊の影響でF-1から撤退。浅木は軽自動車事業の立て直しを命じられた。口癖は「他社のまねは決してするな」。生み出したのは軽は狭いという常識を覆した車。販売台数は日本一を記録した。2013年、F-1は従来のガソリンからハイブリッドに変更。環境に配慮したパワーユニット。エンジンに2つの電気モーターが組み合わされている。ホンダも技術を磨くためF-1への復帰を決断した。しかし2年遅れての参戦、レースでは馬力が足りず直線で追い抜かれ、ドライバーからは格下のマシンだと罵られた。この状況を打破せよとF-1チームにエースたちが招集された。エンジン設計のスペシャリスト・角田哲史はエンジンの設計を1から見直した。田岸龍太郎は若手でどうすれば馬力があがるか確かめる役割、浅木の下で軽自動車を開発してきた。しかしなかなか実を結ばず批判が殺到。上層部は浅木を呼ぶこと決めた。浅木は定年まで半年、一度断ったが、このままでは若手がダメになると依頼を受けた。世代を超えた戦いが始まった。
リーダーになることへの不安はなかった?という質問に浅木康昭は「不安はありますよ。でもとまどいや不安を部下に見せたらダメですから。自信をもってるふりをしてた。できないはずないだろうってスタンスでいないとみんなついてこない」などと話した。
浅木には時間がない。何よりも故障を減らす必要があった。馬力は上がったが部品が耐えきれていなかった。半分以上のレースでリタイアしていた。浅木は、同じ会社のジェット機に使われるエンジン、その技術を生かした設計に変更せよと命じた。しかし開幕戦、マシンは白い煙を上げて止まった。理由を調べると技術者たちは浅木に知らせず設計変更を先送りしていた。設計チームの若手は「軽自動車の浅木にいまのF-1がわかるはずはない」と反発していた。浅木は若手の反発は面白いと毎日、現場に出て、技術者たちに声をかけた。議論を交わし実際に試してみる。どちらの意見に分があるか真剣勝負が始まった。年齢も上下関係もなくやり合いながらモーターの故障を減らしていった。浅木の着任から3ヶ月後、高橋真嘉はエンジンからすごいデータが出たと報告。高速燃焼、勝つにはこれをいかすしかない。しかし高速燃焼は暴走してパワーユニットを壊すキケンがある。それでも浅木は「すぐにレースで使え、俺が責任を取る」と田岸に言った。若手たちは何百枚もの設計図を書いた。角田は全てに目を通しさらに上を目指せと改善点を打ち返した。4ヶ月後、高速燃焼の制御に成功。浅木のもとでチームは一丸となっていた。2019年、年間22のレースのうち3つで勝利。浅木たちのパワーユニットは世界を狙えるところまできた。しかしその矢先、浅木は本社から新型コロナの影響で800億の赤字が出ている。来年F-1から撤退すると告げられた。
世界が狙えるというときに撤退。このとこについて角田哲史は「ここで止めるのはもったいないっていう思いだった」などと話した。田岸龍太郎は「悔しいし腹が立った」などと話した。若手に反発されたことについて浅木康昭は「軽自動車やってたやつが何ができるんだと普通思う。逆にいうと、ここで反発しない人なんて信用できない」などと話した。
2020年秋、撤退の報告にみな憤っていた。浅木は最後のシーズン、絶対に勝つ、新骨格を間に合わせようと技術者たちに言った。新骨格は高速燃焼の力を極限まで引き出す全く新しい設計のパワーユニットだった。2年後に実現予定だったがそれを半年後の開幕に投入するという。これまでの開発をやめ新骨格に全てを懸けることにした。驚くべきスピードで5000に及ぶ部品の図面を書いていった。開幕2週間前新骨格のパワーユニットが完成。2021年3月8日、開幕。ライバルは7連覇のメルセデス。ホンダは2位だった。その後、レッドブル・ホンダはメルセデスを抜いた。メルセデスはパワーユニットの性能を上げ逆転。誰もが落ち込む中、技術者が新しいバッテリーを持ってきた。持ってきたのは、かつて浅木と溝のあった若手たちだった。ハンドルの裏には最終兵器が組み込まれていた。オーバーテイクボタン。バッテリーに充電されたエネルギーを一気に放出する機能。最終戦、ホンダとメルセデスは同点。勝ったほうが世界一となる。田岸は高速燃焼のパワーを限界まで高く設定していた。最後の1周、メルセデスがリードしホンダが追いかける展開。ギリギリのところでホンダはメルセデスを抜き、ゴール間際、ドライバーにオーバーテイクボタンを押せと指示。こうしてホンダは見事1位。30年ぶりに世界一に輝いた。
世界一になったことについて角田哲史は「嬉しかったというより安心した。一つの達成感が味わえた」などと話した。浅木康昭は「数百人が一丸となる姿はなかなか見れるもんじゃない」などと話した。エンジニアにとってF-1とは?と聞かれ浅木康昭は「世界一の技術者になったという証明の場」などと話した。田岸龍太郎は「自分もふくめて回りも大きくしてくれるもの」などと話した。
2021年12月、ホンダはチャンピオン獲得を最後にF-1から撤退した。浅木は密かにレースで培った技術が日本の未来にいかされるよう社内に技術を蓄えていた。電気自動車や空飛ぶ車にバッテリーのノウハウがいかされている。2023年5月、ホンダは2026年シーズンよりF-1に参戦することを発表した。浅木にかわるリーダーは角田哲史。田岸龍太郎はパワーユニットの馬力をあげる責任者を任せられた。「最も困難なものに挑戦せよ」という言葉は伝説の創業者・本田宗一郎が残したものだった。
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