- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 栗山英樹 YOU 阿川佐和子
有馬嘉男らの挨拶。今回はこれまで放送したプロジェクトのその後の物語。
オープニング映像。
1945年、日本軍の司令部が置かれてた首里城。アメリカ軍の集中砲火を浴び、破壊された。沖縄の人にとって、首里城の復活は悲願だった。カラー写真はなく、資料の多くは戦争で失われていた。その時に立ち上がったのが32歳の高良倉吉だった。高良は琉球時代の古文書を徹底的に掘り起こした。寸法記を見つけそこには首里城にかけるこだわりが細かく記されていた。1992年に首里城は蘇ったが2019年10月13日、火災が発生し消失した。すぐに再建プロジェクトが発足すると国内外から募金が集まった。
2025年2月、首里城はいま高台の上で再建が急ピッチで進んでいる。有馬嘉男が工事現場を訪れた日、外壁の塗装が行われていた。今回塗られている赤は平成の復元と少し違う赤だった。2023年、再建プロジェクトの中心的役割を担ったのは高良倉吉だった。高良には平成の復元で果たせなかった悲願があった。外壁の赤。琉球王国時代、どんな赤だったのか突き止めることだった。令和の復元では正体を突き止めて本来の形に戻すという。尚家文書には「弁柄朱」を「久志間切」で調達するよう書かれていた。久志間切はある地域の呼び名だった。弁柄は鉱物などから作られた赤の顔料だった。しかし久志間切の弁柄とは何か、解明できないまま時間切れ。平成の復元では再現できなかった。解明は幸喜淳に託された。幸喜淳はかつて久志間切と呼ばれる場所で、地元の中学生から赤い川があると聞き、ついに弁柄を発見した。
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首里城は分かってるだけで少なくとも5回焼失している。YOUは「時間が立つと、あの赤になるんだって思っていたら違ったんですね」などと話した。
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令和の再建。それを支えているのは多くの若手社員だった。50人近くの宮大工の内、半数近くを20代、30代がしめていた。副棟梁の奥野晃輔さんは29歳だった。中には22歳の女性もいた。なぜ若い世代が多いのかを聞くと「50年、100年、補修、維持 メンテナンスを考えると、若い人に入ってもらって人材育成ということで取り組んでいる」と男性は話した。26歳、彫刻師の 野原陽万里さんは正殿の龍に挑み、躍動ある龍を掘りあげた。首里城の赤の塗りを託されたのは29歳の上原光さんだった。
栗山英樹は「本当に次の世代のことを考えてくださって、決める方が決断してるってすごいな感じを受ける」などと話した。継承について阿川佐和子は「有田焼の14代目に弟子としてどんな人がいいですか?って伺ったら不器用な人っておっしゃった。器用な人は簡単に覚えて、覚えると気が散る。不器用な人はとにかく、やり続ける。」などと話した。栗山英樹は「できちゃう人はなんでできてるかよくわからないで、崩れた時に戻し方がわからない」などと話した。
あなたにとってのプロジェクトXとは?と聞かれ伊集院光は「DVDを全部もってる。スポーツジムでエアロバイクを漕いでる時にみてた。当たり前にある便利のために誰か頑張った。こういう苦労があって生まれたんだって。プロジェクトXで初めて歴史と生活が繋がった感覚」などと話した。
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- 森進一第25回NHK紅白歌合戦
吉田恵里香の気になった回は沖縄で戦後直後、看護師として働いていた皆さんの話しだった。吉田は「キラキラしすぎないで美談になってないところが力強さがある。すごい偉業を成し遂げているけど、1人1人はスーパーな完璧な女性ではない。人として描いてるのが良かった」などと話した。
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- 連続テレビ小説 虎に翼
2008年11月、西澤正城は新聞で20年以上勤めていた我が社の買収を知った。三洋電機は戦後日本の家電時代を切り開いた。三洋電機は抜群の営業力と技術力を武器に日本を代表する企業に成長した。しかし放送から9年後、ライバルだったパナソニックに買収された。中国や韓国も参入し、圧倒的な価格の安さに三洋はじめ日本のメーカーは対抗するすべを持たなかった。洗濯機など白物家電はパナソニックから切り離され中国のメーカー・ハイアールに売却された。ハイアールは新商品の開発をし2012年4月に発売せよと西澤正城らに命じた。三洋時代は発売前にどんなに早くても2年はかかっていた。しかも延期は絶対に許されなかった。西澤正城らは直ぐに企画を考え中国へ行った。企画を話すと、その場ですぐに決まった。営業の尾崎は売り場の確保に躍起になっていた。そして2012年4月、尾崎らが確保した売り場に内藤が企画した新商品が無事並んだ。その後も内藤は次々に新商品を企画。西澤は子会社の副社長となった。
阿川佐和子は「トップに上がると、誇らしいことなんだけどどこかで油断する。追っかける方のエネルギーのほうが強い」などと話した。栗山英樹は「チームが強いときって一瞬ね、いまのチームなら大丈夫だって、それで痛い目にいっぱあってきた。その時に進化しないといけない」などと話した。
ソニーは一度見切りをつけ生産中止にした製品を7年前に復活させた。それが犬型ロボット「アイボ」だった。2018年1月、アイボが復活した。初代の登場は1999年。ペットとして一緒に暮らせるロボットで大きな話題を呼んだ。しかし、2006年2月、収益性が低いとして製造中止となった。2015年夏、アイボを再びやりたいと社内のあちこちから声があがるのを当時の開発リーダー藤田雅博は聞いていた。藤田は経営陣に直訴し思いは通じた。当時のソニーは赤字部門の立て直しが一息ついたところだった。平井一夫社長は反対の声もあったがGOサインを出した。プロジェクトを任されたのはロボット好きの森永英一郎だった。森永は興味を盛ってくれそうな若手社員に直接声をかけメンバーを集めた。長江美佳はプレイステーションの商品企画を担当していた。長江は集まったメンバーに絵を書きながらいままでにない愛されるアイボを作りましょうと訴えた。長江は自分の考える可愛さを伝えるため次々と絵を書いた。頭脳の開発を任された森田拓磨は頭を抱えた。森田は愛情のかけ方によって行動が変化するようプログラミングした。ソフトウェアが充実していくと新たな問題が生じた。アイボの身体・ハードウェア担当の伊豆直之。要求が増すたびにハードウェア作りは加速度的に難しくなっていった。そして2018年、ついに完成した。ことしアメリカでの発売を目指してホンダと開発中の電気自動車。AIがオーナーの趣向を学習。好みの音楽や動画が流れる相棒のような存在の車を目指している。
栗山英樹は「組織はやってる側が楽しくてワクワクしてうれしい気持ちはすごく良いものに繋がっていく」などと話した。
マツダは世界で唯一ロータリーエンジンを実用化させた。2023年、マツダが発表した車が話題を呼んだ。搭載するエンジンがロータリーエンジンだった。マツダはかつてスポーツカーを中心に売れに売れた。しかし90年代景気は低迷。さらに環境問題が注目され燃費の悪いロータリー車は売れなくなった。社内からもロータリーの開発継続に疑問の声が上がり始めた。2012年、ロータリー車の販売が終了した。だが技術者たちは諦めなかった。清水律治は技術者人生の全てをロータリーにささげてきた。そしてロータリーの回転で発電機を効率よく回すことができると思いついた。ピストンが上下に動く通常のエンジンと異なりロータリーは回転する。この原理を応用すれば発電機を効率的に回すことができる。発電機と電気自動車を組み合わせればロータリーの生き残りを図れるのではないか。しかしこのエンジンは長年スポーツカー向けに開発されてきた。技術者の中でも意見が分かれた。ロータリーに憧れ入社した緒方佳典は複雑だった。一方奮い立った者もいた。2017年、ロータリーチームは電気自動車向けの発電機の開発を正式にスタートさせた。しかし大きな壁が立ちはだかった。長年の弱点である燃費と排ガスの問題を解決しなければならない。任されたのは日高弘順。社内のある部署に協力を求めた。これまであまり交流がなかった通常エンジンの開発チームで優れた燃費改善技術を持っていた。排ガス処理のスペシャリスト、長谷川裕一が協力を申し出た。かつては赤字のロータリー開発に疑問を感じていた。6年に及ぶ試行錯誤の末燃費を25%改善、排ガスもクリーンにすることに成功した。2023年11月、ロータリーエンジンを搭載した電気自動車が世に送り出された。しかし会社は一枚岩になったわけではない。社内報には今も疑問の声が寄せられている。社長は「いろんな意見があっていい。意見を叩かせながら前に進めることが会社としてはいい。私としてはロマンと、そろばん両方やらないといけない立場」などと話した。
ロマンとソロバンの両立さっていうことでマツダは非常に厳しい道を歩もうとしている。YOUは「楽しくロマンを負い続ける余地はあるんだなっておもう」などと話した。大谷の二刀流について栗山英樹は「二刀流はできると信じていた。一回も疑わなかった」などと話した
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- 大谷翔平
1957年アメリカに進出したキッコーマン。粘り強い営業で市場を開拓。世界100か国以上に進出を果たした今、人口14億世界一の市場インドに挑んでいる。託されたのは海外事業部の田島圭。田島さんは醤油不毛の地アフリカ・ケニアに単身で乗り込み市場を切り開いてきた。信条はかつての先輩たちと同じ「粘り強い営業」。しかし「諦めない」田島さんでもインド攻略には高い壁があった。スパイスを使う食文化を前に醤油が入り込む余地はなく会社は一度撤退していた。2019年、田島さんは現地の家庭を一軒一軒回った。調査の結果インド中華がはやり始めていることを知る。中華であれば日本の醤油と相性がいいはずと田島さんすぐさま現地スタッフと共に醤油の売り込みに走ったが店のオーナーはなかなか会ってくれない。使ってくれれば醤油の魅力は伝わるはずと田島さんは粘り強い営業を続ける。ある日ギョーザにトウガラシのソースをたっぷりつける客を見た田島さんはアイデアがひらめいた。醤油に大量のトウガラシとニンニクを漬け込んだのを老舗レストランに持っていき、これをきっかけに契約が成立。初めて訪れてから4年、粘り強さでインド攻略の扉を開いた。
1971年に誕生したカップ麺はいまや世界中で親しまれている。開発した日清食品は、カップ麺を超えろを合言葉に挑戦を続けている。おいしさと栄養の完全なバランスを目指しているという。リーダーの小川史恭さんは定年前の大仕事だと挑戦することにした。しかし全ての栄養素を混ぜ込むと苦みやr組が出てくる。1年以上かけ商品化に漕ぎつけた。この日、新商品を社長が試食。社長は「いいんじゃない?これでいきましょう」とOKが出た。
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1957年、南極地域観測隊を率いたのは探検家の西堀栄三郎。それから68年。114人の隊員を率いる原田さんは史上初の女性隊長。座右の銘は「とにかく楽しむ」だった。原田さんは今回が3度めの南極。1991年、大学院生だった原田さんは隊員を募集していると聞き手を挙げた。当時、女性隊員は原田さん一人だった。2度目の南極観測は副隊長として臨んだ。ストレスが溜まりやすい基地生活。原田さんは失敗談を話して雰囲気づくりに務めた。そして今回、原田さんは隊長として臨む。女性隊員は過去最多の25人にのぼった。
きょうのテーマについて阿川佐和子は「日本は戦争に負けた後、各国に追いつこうと経済大国になったけど、バブルが崩壊してから、何やっても日本はうまくいかないってことしか経験してない若い人達が社会にでている。働くことが楽しいってことを見つけたほうが良いんじゃないか。昔の夢を思い出して、徹夜しても苦にならないものを仕事の中に見つけようぜっていう機運が高まってるのかなって風を感じた」などと話した。YOUは「信じて楽しんでいるオタクにはやっぱり勝てない」などと話した。