2025年3月15日放送 8:15 - 9:00 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
新プロジェクトX カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

出演者
有馬嘉男 森花子 兼田悦子 小野寺亮二 松平斉之 
(オープニング)
カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

その少女が育ったのは何もないと言われた極寒の町だった。やがて彼女たちは人生を懸ける夢と出会った。何もなかったはずの町で少女に夢をくれたのは、破天荒極まるじっちゃんだった。

キーワード
平昌オリンピック
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

有馬嘉男と森花子が北海道・常呂町にやって来た。今回は、この極寒の地に笑顔を熱気を作り出した人々の物語を伝える。

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常呂町(北海道)
カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜
カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

北海道・常呂町は冬、流氷に閉ざされる。この町では一風変わった男が酒屋を営んでいた。それが小栗祐治だった。小栗祐治は何によらずのめり込んでしまう。趣味で野鳥の撮影を始めれば山から帰らず、家族は捜索騒ぎ。ボーリングには特に入れ込み、レーンの油の塗り方まで調べ尽くした。しかし、ボーリング場は閉鎖。1980年、ラジオでカーリングの講習会があることを知った。160km離れた池田町に駆けつけカーリングを見学した。まもなく、深夜の駐車場で水をまく小栗の姿が目撃された。しぶしぶリンク作りを手伝ったのは兼田良二。兼田の妻・悦子も小栗に巻き込まれた。ママさんバレーの試合中、小栗がやって来てカーリングに誘われた。ストーンは鉄工所を営む知り合いが取っ手を溶接して作った。ガスボンベや墓石までストーンになったという。見様見真似で始めると面白いと声が上がり、バレーひと筋だった悦子も心がときめいた。悦子に完敗し猛練習を始めたのは農家の小野寺亮二。小栗らは真剣の大会を開こうと言い出した。一緒に連れて行かれたのは兼田良二。1年後、NHKカーリング選手権が開催し15チームが腕を競った。聞き慣れない競技に大の大人が熱中する様子は、テレビでも特集された。カナダの雑誌が小栗を特集したのが縁で現地に視察団を送ることになった。視察を任された1人が住職の松平斉之。カナダで目に飛び込んできたのは笑顔だった。小さな町では、大人も子どももカーリングを楽しんでいた。しかし常呂町では鉄道が廃線となり、1990年代2つの小学校で閉鎖が迫った。1992年、11月18日、カーリングがオリンピック正式種目に決定。町の選手たちが自国開催枠で突如、晴れ舞台に経つことになった。力の差は歴然だったが街中がその姿を見つめた。その時、小栗はメダルを目指すと宣言した。しかし信じる者は誰もいなかった。

キーワード
小栗祐治常呂町(北海道)敦賀信人池田町(北海道)第1回 NHK杯カーリング選手権大会長野オリンピック
トーク

夜8時、有馬嘉男らは北見市常呂カーリングホールを訪れた。町のカーリングチームの対抗戦が行われていて、小学生から上は70代までが熱戦を繰り広げていた。小栗さんたちが初期のころ、手作りしたストーンを紹介した。

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アドヴィックス常呂カーリングホール
カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

長野オリンピックの後、常呂町では学校の体育を双眼鏡で観察する男が現れる。小栗は運動が得意な子を探しては「カーリングを本格的にやろう」と声をかけていた。すでに小栗ららの後押しで体育の授業にカーリングが取り入れられていた。この中に逸材がいるはずだと探した。自ら教え、道具代やリンクの使用料は小栗が負担した。ある日、小栗は1人のある少女の動きに見とれた。それが小学6年生の本橋麻里だった。本橋は友達とマリリンズを結成し大人たちの町内リーグに参戦した。小栗は小さな子どもたちの才能も見逃さなかった。ロビンズを結成した吉田知那美や鈴木夕湖は当時、小学2年生だった。鈴木夕湖の母・倫子は「絶対に叶うことはないとおもってました」などと話した。小栗が最もこだわったのは基本だった。ぐんぐん腕を上げた本橋は大人のチームからも引っ張りだこ。15歳で世界ジュニア選手権に出場。しかし本橋を待っていたのは何もない街の現実だった。高校から先、本気で競技を続けるすべが常呂町にはなかった。常呂でカーリングを続けたい、そんな子どもを松平は複雑な思いで諭した。本橋は自治体と企業が支援する青森のチームで高校の先輩と競技を続けた。2006年、常呂町は北見市と合併が決まった。この町では夢が叶わない。希望は見えなかった。

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北見市(北海道)常呂町(北海道)
スタジオトーク

育てた選手が町をでていってしまったことについて兼田悦子さんは「寂しかった。常呂から仕事先がないってことで青森に行ってしまったことがすごく残念だった」などと話した。松平斉之さんは「子どもたちはずっと続けたいんだけど、大学に行かないと行けないし、働くちゃいけないし。それでも頑張れって僕達大人は言えなかった」などと話した。

カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

逆風が続いていたが、カーリングにかける小栗の情熱は80歳をむかえても熱かった。町を離れる子にはまた見つければいいと送り出した。本橋は2度のオリンピックに出場したが表彰台は遠かった。本橋はスウェーデン戦の時、恩師がいたからこそ何も無い町で夢を持てた、環境は誰かが続いたもの、故郷でカーリングの頂点を目指せる道を自分が作ろうと決意した。間もなく本橋は誰も誘わず、常呂に戻った。小栗は本橋が戻ったと聞き心配したという。本橋が声をかけたのは鈴木夕湖と吉田夕梨花だった。2人はカーリングを続けたいが大学への進学を控え道が見えなくなっていた。ある日、本橋は体調を崩し病院に行くと、医師になぜ常呂に戻ったの?と尋ねられた。本橋はこの町に世界と戦えるトップチームを作りたいこと、後輩が町に残るための選択肢になりたいことを伝えると、医師の國分純はスポンサーになると即決し仲間にも呼びかけた。こうして病院や企業が分担して選手を雇い、働きながら競技を続ける体制が4年がかりで出来上がった。

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トリノオリンピックバンクーバーオリンピック常呂町(北海道)

チームの名は「ロコ・ソラーレ」。常呂の太陽という意味を込めた。町のリンクではオリンピックに出場した先輩をはじめ、町内リーグで腕を磨いた選手たちが、いつでも対戦相手を務めてくれた。コーチを引き受けたのは強豪チームでプレーしていた農家の小野寺亮二だった。2017年5月、ロコ・ソラーレにまさかの知らせが 入った。小栗が危篤。心配させるからとみんなに入院は黙っていた。全員は病院に向かったが小栗は20分前に旅立っていた。5人は「オリンピックでメダルを取るから」と行った。平昌オリンピックで銅メダルを獲得した。試合後、メンバーは一目散に常呂町を目指した。40年前、一人の変わり者が広めた競技は極寒の町に笑顔をもたらした。

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ロコ・ソラーレ常呂町(北海道)平昌オリンピック
スタジオトーク

日本代表が金メダルを取った時について松平斉之は「本当は家で一人で見たかった。いろんなことを味わいながら」などと話した。吉田知那美らはお母さんがカーリングをやっていたので、学校が終わったらカーリング場に来て、宿題もカーリング場でやって、遊ぶのもカーリング場で、そうやって大きくなった子なので、カーリングやってる人たちの希望だという。カーリングについて兼田悦子さんは「話し合える友達もいるし、常呂町でよかった。カーリングは人と人を仲良くさせる」などと話した。

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フォルティウスロコ・ソラーレ
カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜

2013年、小栗さんは新しいカーリング場で始投式を頼まれた。車いすだったがこの日のためにトレーニングを続けた。ストーンを力いっぱい投げ教え子たちが繋いだ。常呂町ではこの冬も、子どもたちが大人からカーリングを教わる。夢は次の世代へと受け継がれている。

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常呂町(北海道)鈴木夕湖
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

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