逆風が続いていたが、カーリングにかける小栗の情熱は80歳をむかえても熱かった。町を離れる子にはまた見つければいいと送り出した。本橋は2度のオリンピックに出場したが表彰台は遠かった。本橋はスウェーデン戦の時、恩師がいたからこそ何も無い町で夢を持てた、環境は誰かが続いたもの、故郷でカーリングの頂点を目指せる道を自分が作ろうと決意した。間もなく本橋は誰も誘わず、常呂に戻った。小栗は本橋が戻ったと聞き心配したという。本橋が声をかけたのは鈴木夕湖と吉田夕梨花だった。2人はカーリングを続けたいが大学への進学を控え道が見えなくなっていた。ある日、本橋は体調を崩し病院に行くと、医師になぜ常呂に戻ったの?と尋ねられた。本橋はこの町に世界と戦えるトップチームを作りたいこと、後輩が町に残るための選択肢になりたいことを伝えると、医師の國分純はスポンサーになると即決し仲間にも呼びかけた。こうして病院や企業が分担して選手を雇い、働きながら競技を続ける体制が4年がかりで出来上がった。
チームの名は「ロコ・ソラーレ」。常呂の太陽という意味を込めた。町のリンクではオリンピックに出場した先輩をはじめ、町内リーグで腕を磨いた選手たちが、いつでも対戦相手を務めてくれた。コーチを引き受けたのは強豪チームでプレーしていた農家の小野寺亮二だった。2017年5月、ロコ・ソラーレにまさかの知らせが
入った。小栗が危篤。心配させるからとみんなに入院は黙っていた。全員は病院に向かったが小栗は20分前に旅立っていた。5人は「オリンピックでメダルを取るから」と行った。平昌オリンピックで銅メダルを獲得した。試合後、メンバーは一目散に常呂町を目指した。40年前、一人の変わり者が広めた競技は極寒の町に笑顔をもたらした。
チームの名は「ロコ・ソラーレ」。常呂の太陽という意味を込めた。町のリンクではオリンピックに出場した先輩をはじめ、町内リーグで腕を磨いた選手たちが、いつでも対戦相手を務めてくれた。コーチを引き受けたのは強豪チームでプレーしていた農家の小野寺亮二だった。2017年5月、ロコ・ソラーレにまさかの知らせが
入った。小栗が危篤。心配させるからとみんなに入院は黙っていた。全員は病院に向かったが小栗は20分前に旅立っていた。5人は「オリンピックでメダルを取るから」と行った。平昌オリンピックで銅メダルを獲得した。試合後、メンバーは一目散に常呂町を目指した。40年前、一人の変わり者が広めた競技は極寒の町に笑顔をもたらした。