2025年2月22日放送 19:30 - 20:15 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

出演者
有馬嘉男 森花子 小玉栄 菊地まゆみ 
(オープニング)
人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

世界遺産、白神山地の麓にある秋田・藤里町。この町はひきこもりをゼロにし日本中を驚かせた。かつて100人以上いたひきこもり状態の人々。仕事など社会につなげ孤立を解消した。リーダーは専業主婦から転身した福祉担当者。誰もが無理だと言ったが、諦めなかった。これは常識を次々に突き破ったまっすぐな人たちの物語。

キーワード
白神山地藤里町(秋田)
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

森花子らの挨拶。今回は引きこもりへの誤解や偏見と戦った人々の物語。国はひきこもり状態にある人が146万人いると推定している。秋田・藤里町はひきこもりの人たちの社会とのつながりを取り戻すための仕組みを作り、ひきこもりをゼロにした。

人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜
人生は何度でもやり直せる 人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

2000年、22人を乗せたバスが17歳の少年に乗っ取られた。同じ年37歳の男性が女性を9年にわたり監禁した事件も起きた。どちらも犯人が自宅にこもり社会との関係を絶っていた。「犯人はひきこもり」と偏った報道がなされ、そうした状態にある人たちが不本意な偏見にさらされた。同じ頃そんな風潮に疑問を持つ女性がいた。それが藤里町社会福祉協議会事務局長の菊地まゆみだった。菊地は3人の子どもを育てる元専業主婦、当時、町内のあちこちでささやかれるひきこもりのうわさに心を痛めていた。地域の見守り活動を行っていた民生委員もの夏井アヤ子は、心配になりうわさになっている家々を訪ねた。しかし出てきた親からは「心配いらない」と言われそれ以上踏み込むことができなかった。誰もが隠し踏み込みづらい問題。しかしまゆみは見て見ぬふりはできないと思っていた。まゆみは10年前、新人時代のことだった。見守りをしていた高齢者の家でひきこもり状態にある30代の息子と出会った。なんとかしたいと、上司に相談したが止められてしまった。社会福祉協議会は役場と連携して高齢者の見守りを行うのが主な仕事だった。まゆみは法律や制度を調べたがひきこもりを支援する道は見つけられなかった。その後、父親は亡くなり息子も数か月後に病死した。まゆみは自分の無力さを思い知らされた。

あれから10年。職場のリーダーになったまゆみは「見て見ぬふりはもうできない」と思った。町内にひきこもり状態にある人がどのくらいいるのか。調査を任せたのは元銀行員の加藤静。きちょうめんな性格でしっかり調べてくれると信頼していた。加藤は民生委員の夏井やヘルパーなどからの聞き取りをまとめた。すると衝撃的な数字が判明。人口4000の町でひきこもり状態にある人は113人。現役世代のおよそ20人に1人という数字だった。調査でまゆみはもう一つ重要な事実に気が付いた。当時ひきこもりは、医療関係の専門家が治療にあたるものだと思われていた。しかし原因を見ると学校でのトラブルや失業後に仕事が見つからないことなどがあった。この町で10年来ひきこもり状態だった小玉栄。きっかけはやはり仕事だった。大学卒業後、東京のIT企業にプログラマーとして就職。厳しい競争についていけず数年で退職。家で高齢の祖母の面倒を見ることになった。数年後小玉はもう一度働こうとハローワークに行くがしかし履歴書の空白期間があだとなり続けて不採用。ひきこもる毎日が10年近く続き日記をつけることで自分を保っていた。このころ日本全体で失業率が最悪レベルを記録。小玉はやり直しが許されない社会の現実に苦しめられていた。働きたくとも働けない人たちがもう一度やり直せる仕組みを作ろう。まず外に連れ出せば何かが変わるのではないかと、まゆみは職場で一番の若手にその仕事を任せた。社協職員・門田真はひきこもっている若者たちと同世代、しかし緊張していた。ある男性の家で「外に出かけませんか」と恐る恐る呼びかけた。「いいですけどどこへ?」と意外な返事が返ってきた。外出できないのではなく出ていくべき場所がなかった。「人生をもう一度やり直せる社会をつくりたい」プロジェクトはいきなり壁にぶつかった。

スタジオトーク

見て見ぬ振りはできないとおもったのはどういう思いから?と聞かれ菊地まゆみさんは「ひきこもりの人を何人かみてた。親御さんが亡くなった時に入らせて頂くことになると、もう手遅れ。病院に入るしかないのかなって状態になってた。後悔した。嫌われてもいいからもっと早くに入ればよかった。怒られるくらいまぁいいや。後悔よりマシだと思った」などと話した。

人生は何度でもやり直せる 人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

ひきこもり支援は相変わらず思うようには進んでいなかった。どんな場所をつくれば出てきてくれるのか。悩むまゆみたちの元に突然思いがけない人物が現れた。松原卓也はひきこもり状態だったが社協の職員募集に申し込んできた。松原はかつて木材加工の会社で10年働いていたが病気のため退職。回復後、就職活動をしたが長引く不況の影響で何度受けても不採用。松原の話を聞いたまゆみはある経験を思い出していた。子育てに専念していた頃、自分は社会から取り残されていると感じたことがあった。しかし仕事を始めた時、町民たちに「ありがとう」と声をかけられた。たったそれだけの言葉が疎外感を消してくれた。特別な人だと決めつけていた自分の偏見に嫌気がさした。まゆみは「働くことができる食事処をつくるのはどうか」と決意。食堂なら誰もが自分なりの役割を見つけ出せるかもしれない。報酬は僅かだが本格的な就職に向けて訓練ができる施設をつくろう。しかし町民たちからは反対の声が上がった。悩むまゆみの背中を押したのは3人の子どもたちだった。

ひきこもりの人たちの施設の準備は急ピッチで進んだ。名前は「こみっと」。秋田弁で「親しく人が寄り集まる」。集められたのは社協の採用面接を受けに来た松原を含め4人。「オープンセレモニーで150人の来賓に手打ちそばを振る舞おう」。彼らの可能性を町民に見せたかった。しかし全員が素人。見よう見まねで作るが1本の麺にならない。それでも投げ出さなかった。一緒にそば打ちを行ったのは若手職員の門田。ついに迎えたオープンセレモニーの日。辛うじてつながっている麺を何とかかき集め150人分を用意することができた。しかしこの勢いは長続きしなかった。そば打ちに参加した松原がいつの間にか姿を見せなくなっていた。食事処で働くことを希望する者も全くいなかった。またしてもまゆみたちは答えが見えなくなっていた。

キーワード
お食事処 こみっと
スタジオトーク

なぜ「こみっと」を作ろうと思ったのか?と聞かれ菊地まゆみさんは「関わってる引きこもりの人が何人かいた。就労支援とかあるはずとおもって探していたが、デイケアしかなかった」などと話した。このコミットについて専門家は「治療が中心だったひきこもり支援に社会参加を加えたのは画期的」と評価している。

キーワード
中島修
人生は何度でもやり直せる 人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

オープンから1か月、食事処で働く人はいまだ集まっていなかった。社協職員の菊地孝子は温厚で人なつっこい雰囲気がぴったりだと人集めを任された。ひきこもり状態にある113人の家を訪ねたが応じてくれる人はいない。そんな孝子の姿を不審そうに見つめる男がいた。それが10年来ひきこもり状態にあった小玉だった。こみっとが実際の就職につながるとは思えなかった。しかしまゆみはどんなに拒まれてもひきこもりを家族だけの問題にはしたくなかった。ある経験があった。数年前、三男が自宅にこもるようになった。きっかけは学校でのトラブル。長男の宣匡はこの問題を家族の中で解決すべきだと考えていた。しかしまゆみは家族にできることの限界を感じていた。何度も話を聞いたが三男は詮索されるのを嫌がった。学校を転校させても問題は解決しなかった。こみっと開設準備の最中、三男は自ら命を絶った。まゆみはひきこもり支援をやめようと思ったが「自分にこそできることがある」と思いとどまった。

同じ頃、大量の失業者を救おうと国の新しい制度が始まった。ヘルパーの講座を受けながら毎月10万円の給付金を半年間受け取れるというものだった。就職への道筋が明確に見える制度。これなら興味を持つ人がいるのではないか。しかし高いハードルがあった。参加者の就職率が低ければ次の年は訓練が実施できなくなってしまう。それでもまゆみは「彼らの可能性を信じよう」、孝子も同じ気持ちだった。パンフレットを持って小玉の家を訪ね「資格をとりませんか」と話すと、その言葉に小玉が反応した。訓練初日、一体何人来てくれるのか。その数15人、そば打ち以来姿を見せなかった松原。そして小玉もいた。訓練中まゆみや孝子も共に闘った。その結果誰一人脱落することなく全員がヘルパーの資格を取得。将来への道を見つけた小玉と松原は、こみっとで就職に向けた訓練を始めた。基金訓練を足掛かりにこみっとで働く人も増え食事処は大繁盛。「ひきこもりは怠け者」、そんな声は聞かれなくなった。こみっとで訓練を続けた小玉は5年後に社協に就職し特産品作りという新事業を任された。松原はこみっとで自信をつけ国家資格の介護福祉士も取得、施設に就職。まゆみたちの取り組みへの参加者は5年で70人を超えた。113人のひきこもり状態にある人のうち86人は介護施設や民間企業などで働き始めた。27人は医療や福祉とつなげ社会から孤立した人はゼロになった。「人生は何度でもやり直せる」いつしかそれがこの町の常識となった。

キーワード
お食事処 こみっと藤里町(秋田)
スタジオトーク

小玉栄さんは「蓄えが少なくなり、この先どうなるかわからなかったので、すぐに行動に移した」などと話した。菊地まゆみさんは「無理して頑張ってでてくるんだよってそういうことではなく、情報をお届けすることに徹することを頑張った。私自身が信じることができたとかじゃなくて、俺ってこんないっぱいいろんなことが出来るんだよとか、私ってもっとやりたいことがあるよとか、そのたびに教えられて、可能性を信じるより、可能性を潰しちゃいけない。私は、ひきこもりという言葉をなくしたい」などと話した。

キーワード
お食事処 こみっと中島修白神まいたけキッシュ藤里町(秋田)
人生は何度でもやり直せる 人生は何度でもやり直せる 〜ひきこもりゼロを実現した町〜

2015年4月、生活困窮者自立支援法が施工された。施行前、法案の作成に関わった国の官僚たちがやって来た。官僚たちは人口4000人の街が新しい法律を先取りしていたことに驚いた。ことしで「こみっと」は開設から15年を迎える。今、こみっとではたらくのは元引きこもりの人たちだけではない。年齢や障害あるなしかかわらず誰もが活躍出来る場へと広がった。ひきこもり支援のモデルとなった「藤里方式」はいまもフロントランナーとして走り続けている。

キーワード
お食事処 こみっと厚生労働白書生活困窮者自立支援法藤里町(秋田)
(エンディング)
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜

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