1905年の日露戦争の勝利を祝う凱旋パレードの様子を伝えた。この戦争で東郷平八郎と乃木希典が活躍した。乃木希典の陸軍では貴族も平民も同様に扱われており、東郷平八郎の海軍では少数精鋭のエリート主義が敷かれて品格と教養が求められた。陸軍はソ連を、海軍はアメリカを仮想敵国として軍拡を進めた。しかし1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結されて、海軍も陸軍も両方とも軍縮された。
1931年に陸軍内で溜まっていた不満が爆発し、満州事変が起きた。陸軍は傀儡国家の満洲国の防衛を理由に2倍の予算を獲得した。一方で海軍はプロパガンダ映画を出し、軍縮条約から離脱して航空機の開発などを行っていた。陸軍でも航空戦力の研究が行われており、それぞれが別々に進めていった。
1937年に日中戦争が勃発した。戦争は泥沼化して投入された戦力は最終的に100万人になった。陸軍が北へ向かえば、海軍は南へ目を向けた。海軍は南方へ進出し、海南島やフランス領インドシナへ進んでいった。そして南方の資源を得ていった。こうしたことを受けてアメリカは日本への石油禁輸を決めた。陸軍はこれに反発したが、海軍はアメリカとの対決は勝算が乏しいことを理解していた。しかし対米戦を理由に予算を獲得していたので、海軍はアメリカとの対決を反対することができなかったという。そして1941年12月に日米開戦が決定した。
1941年に海軍が真珠湾攻撃を奇襲した。陸軍も東南アジアで軍事作戦を開始した。陸海軍は戦争に乗り出したが、その先に目指すもの違っていたという。陸軍はアメリカとの開戦後も中国に戦略の重点を置いていた。一方で海軍はアメリカの反撃を警戒してさらなる攻勢を急いでいた。海軍は敗北したが、陸軍には上層部にしかそれを知らせてなかったという。ガダルカナル島の戦いでは陸軍と海軍の共同作戦が行われたが足並みは揃わず大きな損害を出した。陸軍と海軍の対立はマスコミにも及んでいたという。
1944年7月。日本は国防の要だったサイパン島を失った。そうした中で劣勢を覆す大戦果が発表されたが、この戦果は事実ではなかったという。海軍はこの情報が誤りであることを把握していたが、これが陸軍に伝えられることはなかったという。陸軍は戦果の情報を信じて「レイテ島の戦い」に臨んだが大敗した。その後は神風特別攻撃隊が組織されたが、戦局を覆すことはできなかった。1945年にアメリカは広島と長崎に原爆を投下し、ソ連が満州に参戦し日本の敗北は決定的になった。しかしこうした状況でも陸軍と海軍は歩み寄ることはなかった。最後は天皇が決断をした。戦争を主導した軍の首脳は戦犯として裁かれた。裁判でも陸軍と海軍で違いがあり、海軍は責任回避、陸軍は戦争の正当性の主張を重視していた。
戦後、軍は解体されて軍人たちは国を破滅に導いた存在とみなされた。しかし敗戦から5年。冷戦の緊張から日本は再軍備をすることになった。1950年に警察予備隊が組織されて陸上戦力が復活した。さらに2年後に海上警備隊組織された。日本が高度成長期に入ると、戦争を指揮した軍人たちは企業社会に迎え入れられて大企業のトップになる人もいた。しかし陸軍や海軍のような縄張り意識は形を変えて縦割り社会の弊害として日本社会に残り続けた。
1931年に陸軍内で溜まっていた不満が爆発し、満州事変が起きた。陸軍は傀儡国家の満洲国の防衛を理由に2倍の予算を獲得した。一方で海軍はプロパガンダ映画を出し、軍縮条約から離脱して航空機の開発などを行っていた。陸軍でも航空戦力の研究が行われており、それぞれが別々に進めていった。
1937年に日中戦争が勃発した。戦争は泥沼化して投入された戦力は最終的に100万人になった。陸軍が北へ向かえば、海軍は南へ目を向けた。海軍は南方へ進出し、海南島やフランス領インドシナへ進んでいった。そして南方の資源を得ていった。こうしたことを受けてアメリカは日本への石油禁輸を決めた。陸軍はこれに反発したが、海軍はアメリカとの対決は勝算が乏しいことを理解していた。しかし対米戦を理由に予算を獲得していたので、海軍はアメリカとの対決を反対することができなかったという。そして1941年12月に日米開戦が決定した。
1941年に海軍が真珠湾攻撃を奇襲した。陸軍も東南アジアで軍事作戦を開始した。陸海軍は戦争に乗り出したが、その先に目指すもの違っていたという。陸軍はアメリカとの開戦後も中国に戦略の重点を置いていた。一方で海軍はアメリカの反撃を警戒してさらなる攻勢を急いでいた。海軍は敗北したが、陸軍には上層部にしかそれを知らせてなかったという。ガダルカナル島の戦いでは陸軍と海軍の共同作戦が行われたが足並みは揃わず大きな損害を出した。陸軍と海軍の対立はマスコミにも及んでいたという。
1944年7月。日本は国防の要だったサイパン島を失った。そうした中で劣勢を覆す大戦果が発表されたが、この戦果は事実ではなかったという。海軍はこの情報が誤りであることを把握していたが、これが陸軍に伝えられることはなかったという。陸軍は戦果の情報を信じて「レイテ島の戦い」に臨んだが大敗した。その後は神風特別攻撃隊が組織されたが、戦局を覆すことはできなかった。1945年にアメリカは広島と長崎に原爆を投下し、ソ連が満州に参戦し日本の敗北は決定的になった。しかしこうした状況でも陸軍と海軍は歩み寄ることはなかった。最後は天皇が決断をした。戦争を主導した軍の首脳は戦犯として裁かれた。裁判でも陸軍と海軍で違いがあり、海軍は責任回避、陸軍は戦争の正当性の主張を重視していた。
戦後、軍は解体されて軍人たちは国を破滅に導いた存在とみなされた。しかし敗戦から5年。冷戦の緊張から日本は再軍備をすることになった。1950年に警察予備隊が組織されて陸上戦力が復活した。さらに2年後に海上警備隊組織された。日本が高度成長期に入ると、戦争を指揮した軍人たちは企業社会に迎え入れられて大企業のトップになる人もいた。しかし陸軍や海軍のような縄張り意識は形を変えて縦割り社会の弊害として日本社会に残り続けた。
