国枝慎吾は現在拠点をアメリカに移し子どもたちへの指導に励んでいる。国枝は9歳の時にガンを患い車いす生活となった。11歳の時に車いすテニスに出会い競技に熱中。競技を始めた当初、車いすテニスはリハビリの延長として捉えられていた。25歳で日本初となるプロ転向を決断。しかしマイナーな車いすテニスで生きていくのは茨の道だった。それでも結果を出し続け自らの手でスポンサー契約を掴み取った。次第に競技の人気・注目度も急上昇した。
常に困難な道を選び続け競技の発展に大きな影響をもたらした。国枝慎吾は今回が人生で初めてのコーチ。苦手な英語で自らの経験を懸命に伝える。指導後は大学で英語の勉強をしている。妻・愛さんはフードマイスターの資格を取得し食生活でサポート。仕事を辞め共に世界を転戦するなどチーム国枝に欠かせない存在となった。
常に困難な道を選び続け競技の発展に大きな影響をもたらした。国枝慎吾は今回が人生で初めてのコーチ。苦手な英語で自らの経験を懸命に伝える。指導後は大学で英語の勉強をしている。妻・愛さんはフードマイスターの資格を取得し食生活でサポート。仕事を辞め共に世界を転戦するなどチーム国枝に欠かせない存在となった。