川島がやってきたのはさいたま市。ここにビジネスの原点があるという。駅前の商店街に壱角家があったがガーデンはそもそもカラオケ店からスタートし8年前に大手に売却した過去がある。川島は1971年に東京生まれ、都立の商業高校に進学するが、勉強には興味をもてず、アルバイトに明け暮れる日々を送っていた。卒業後は職を転々としながら知り合いの事業を手伝ったりしていたフリーターだった。そんなある日、知人のツテで譲り受けたのが今にも潰れそうなカラオケ店。家具やカラオケ機材もそのまま使っていいと、これが居抜きビジネスの原点に。日中は部屋代をとらずにドリンク代のみというカラオケ店に。これが大当たりし、半年で売上1000万円の人気店に。その後も川島は居抜き物件だけで10店舗に拡大。年商10億円に。すると次第に野心が芽生えてきたという。そこで1から店舗を作りたいと、居抜きには必要ない初期投資にお金がかかり、たちまち倒産の危機に追い込まれた。原点に立ち返ろうと、ピンチを脱した川島のもとに、2003年にある店の再建依頼が舞い込んだ。それがステーキのテッパン王国だった。都内を中心に7店舗展開するステーキ店で、これが飲食業参入のきっかけに。これも成功させた川島に、2014年、東京チカラめし買収の話が飛び込んできた。買収に動き出したが取引先の銀行に猛反対された。