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「キンノツノ社」 のテレビ露出情報

依頼人は埼玉県秩父市「秩父こども園」園長・柴原眞紀さん(62歳)。保育園と幼稚園の機能を併せ持つ「認定こども園」で、小学生の学童保育も行っている。1925年に慈眼寺の18世住職・柴原弘道さんが境内の一角で秩父幼稚園を開園、ことし創立100周年を迎えた。満3才児以上のクラスでは体操・ひらがなの読み書き・計算・ピアニカなど様々なことを学ぶ。鑑定依頼品は1927年アメリカから贈られた、秩父こども園に伝わる可愛らしいお宝。
柴原眞紀さんの依頼品は「青い目の人形」。アメリカから贈られた秩父こども園のお宝で、人形のパスポートもある。名前はヘレン。1927年アメリカから日本に約1万3000体の人形が贈られ、日本で数年前に大流行した野口雨情作詞の童謡にちなみ「青い目の人形」と呼ばれることになる。当時アメリカは不況の真っ只中で日本人移民への批判が高まっていて、状況を改善しようと親日家の宣教師・シドニー・ギューリックが立ち上がりアメリカから日本の子どもたちに人形を送ることを提唱した。アメリカでは260万人が賛同、人形には一体ずつ名前がつけられパスポートや日本までの片道切符が添えられた。日本側はギューリックと親交があった経済界の重鎮・渋沢栄一を中心に受け入れ態勢を整えた。1927年3月3日、東京の日本青年館で歓迎式典を開催。その後全国各地の小学校や幼稚園などに配られアイドル的な人気を博した。日本からも返礼すべきとの声が高まりクリスマスに間に合うよう市松人形を製作、各都道府県や大都市などを代表する市松人形58体が贈られた。ギューリックと渋沢が目指した人形交流は見事成功したが、1941年日米は開戦、青い目の人形は憎悪の対象となり多くは処分されてしまう。
依頼品は秩父こども園に伝わる「青い目の人形」。人形本体はやや傷んでいるが、帽子・服・靴などは当時のままで着せ替え用の衣装も残っている。パスポートによると名前はヘレン、ペンシルベニア州ボイヤータウンから贈られたもの。当時の冊子や写真なども揃っている。レッツゴーよしまさは「歴史を見続けた感じが出てる」とスタジオコメント。

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