TVでた蔵トップ>> キーワード

「キーウ(ウクライナ)」 のテレビ露出情報

日本海に面する砂丘地で育ったブドウを原料にした「北条ワイン」は塩っぽさを感じるミネラルや豊かな果実味が特徴。このワインが作られている鳥取県のワイナリー「北条ワイン醸造所」の社長・山田和弘さんは祖父、父から受け継いだ醸造所でワインを造り続けている。醸造所が造られたのは太平洋戦争末期の昭和19年。ワインを仕込むための蔵は物資が不足する中、貴重な資材をかき集めて造られた。梁や土壁、土間など当時の姿を今に残している。創業者で和弘さんの祖父・山田定伝さんは名古屋の酒造会社で酒造りを学んだ後、地元・鳥取県に戻った定伝さんは国からの命令を受け北栄町に醸造所を構えた。戦時中、定伝さんはワインではなく、醸造過程で生まれる酒石酸を生産していた。酒石酸が旧日本軍が潜水艦や魚雷を探知するための水中音波探知機の材料に用いられていた。終戦までの1年間、地元産の全てのブドウが醸造所で酒石酸の生産に使われたと記録されている。
戦後、北条ワイン醸造所創業者・山田定伝さんはワインの生産を本格的に始めたが、当時ワインは庶民に馴染みがない飲み物で、思うように売れない日々が続いた。定伝さんのワインはかつての敵だった進駐軍の間で人気を集めていた。1978年、NHKが撮影した北条ワイン醸造所の映像には、和弘さんの父で当時2代目の社長を務めていた定廣さんがワイン造りに励む様子も映っている。1970年の大阪万博をきっかけに国内でもワインを飲む習慣が広がり、醸造所の経営も徐々に安定してきた。美味しいワインを多くの人に楽しんでもらいたいという祖父や父親が抱き続けた思いは今、和弘さんに受け継がれている。山田和弘さんは「ワインを飲んで少しでも豊かな人生をおくる。そういった環境、それは平和でないと平和な日常がないとできないこと」と話した。戦争の記憶が徐々に失われつつあった3年前、再び戦争が醸造所に影を落とした。3年前から始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。和弘さんの妻のマリーナ・ピロゴヴァさんはウクライナ出身。10年前、結婚を機にウクライナから鳥取県に移り住んだ。義理の弟はロシア軍によるミサイルで負傷し、前線で戦ったいとこは心に深い傷を負い今も苦しんでいる。マリーナさんと和弘さんは3年前からチャリティーワインの販売を始め、これまでに1000万円以上の寄付金をウクライナに届けてきた。和弘さんもウクライナの人たちに少しでも寄り添いたいと思い、マリーナさんを支えている。和弘さんは「たかがワインされどワイン。たった一本のワインでみんなを笑顔にできるようなワインづくりを目指していきたい」と話した。かつて軍需物資を造っていたワインの醸造所から平和への思いを発信したい、和弘さんとマリーナさんの願い。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.