- 出演者
- 池田伸子 伊藤海彦 久保井朝美 瀬戸光 斎藤希実子 新浜レオン
オープニング映像。
挨拶をしたあと、新浜レオンさん生出演、防災の日にちなんだ中継などとラインナップを伝えた。
東京・池袋のイケ・サンパークから中継。イケ・サンパークは豊島区最大級の防災機能を備えた防災公園。災害発生時、一時的に避難する場所になり、2500人を収容することができる。ベンチの中には釜戸が収納されていて、非常時には炊き出しに使うことができる。建物の中には非常時にも使える水洗トイレがあり、40tの雨水や井戸水をタンクに溜めていて、個室で男女も分かれている。一時的な避難場所になった後は自衛隊などが物資を輸送するための拠点になるため、大きなトラックが何台も行き来して大丈夫なように道幅を大きく取っている。イケ・サンパークでは防災に関するイベントも行われている。今年5月に防災フェスタを開催し、防災運動会では新聞紙スリッパを使った障害物リレーを行ったほか、玉入れの玉をバケツで運ぶバケツリレー玉入れを開催。親子で楽しめる防災イベントを定期的に企画している。この先のお天気はあすにかけて北海道や東北北部の日本海側を中心に大雨による災害に厳重な警戒が必要。あさっては北陸を中心に大雨のおそれがある。9月になっても猛暑日が続出しそう。
日本海に面する砂丘地で育ったブドウを原料にした「北条ワイン」は塩っぽさを感じるミネラルや豊かな果実味が特徴。このワインが作られている鳥取県のワイナリー「北条ワイン醸造所」の社長・山田和弘さんは祖父、父から受け継いだ醸造所でワインを造り続けている。醸造所が造られたのは太平洋戦争末期の昭和19年。ワインを仕込むための蔵は物資が不足する中、貴重な資材をかき集めて造られた。梁や土壁、土間など当時の姿を今に残している。創業者で和弘さんの祖父・山田定伝さんは名古屋の酒造会社で酒造りを学んだ後、地元・鳥取県に戻った定伝さんは国からの命令を受け北栄町に醸造所を構えた。戦時中、定伝さんはワインではなく、醸造過程で生まれる酒石酸を生産していた。酒石酸が旧日本軍が潜水艦や魚雷を探知するための水中音波探知機の材料に用いられていた。終戦までの1年間、地元産の全てのブドウが醸造所で酒石酸の生産に使われたと記録されている。
戦後、北条ワイン醸造所創業者・山田定伝さんはワインの生産を本格的に始めたが、当時ワインは庶民に馴染みがない飲み物で、思うように売れない日々が続いた。定伝さんのワインはかつての敵だった進駐軍の間で人気を集めていた。1978年、NHKが撮影した北条ワイン醸造所の映像には、和弘さんの父で当時2代目の社長を務めていた定廣さんがワイン造りに励む様子も映っている。1970年の大阪万博をきっかけに国内でもワインを飲む習慣が広がり、醸造所の経営も徐々に安定してきた。美味しいワインを多くの人に楽しんでもらいたいという祖父や父親が抱き続けた思いは今、和弘さんに受け継がれている。山田和弘さんは「ワインを飲んで少しでも豊かな人生をおくる。そういった環境、それは平和でないと平和な日常がないとできないこと」と話した。戦争の記憶が徐々に失われつつあった3年前、再び戦争が醸造所に影を落とした。3年前から始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。和弘さんの妻のマリーナ・ピロゴヴァさんはウクライナ出身。10年前、結婚を機にウクライナから鳥取県に移り住んだ。義理の弟はロシア軍によるミサイルで負傷し、前線で戦ったいとこは心に深い傷を負い今も苦しんでいる。マリーナさんと和弘さんは3年前からチャリティーワインの販売を始め、これまでに1000万円以上の寄付金をウクライナに届けてきた。和弘さんもウクライナの人たちに少しでも寄り添いたいと思い、マリーナさんを支えている。和弘さんは「たかがワインされどワイン。たった一本のワインでみんなを笑顔にできるようなワインづくりを目指していきたい」と話した。かつて軍需物資を造っていたワインの醸造所から平和への思いを発信したい、和弘さんとマリーナさんの願い。
和弘さんは約3年前から予約をした人を対象にワイナリーの成り立ちを紹介するツアーを実施している。歴史ある建物の中に入って見学したり、ワインを試飲したりすることもできる。
週明けの東京株式市場は半導体関連の銘柄を中心に売り注文が出て、日経平均株価は一時800円以上値下がりした。先週末の終値と比べて529円68銭安い4万2188円79銭で取引を終えた。円相場は147円台前半で推移している。
。きょうは「防災の日」ということで、地震保険の“付帯率”が初めて70%を超えた。地震保険は地震や津波、噴火で建物や家財が被災した際に支払われ、通常の保険とは違って法律に基づいて作られた特別な保険。建物は最大5000万円までの保険金額を設定することができ、全損の100%から一部損の5%まで被害の大きさに応じて保険金が支払われる仕組み。去年の能登半島地震では合計195億円の保険金が支払われ、被災者の生活再建の助けになった。地震保険に加入するには火災保険とセットで契約する必要があり、火災保険契約のうち地震保険も契約した割合を付帯率と言い、昨年度は70.4%にのぼり、統計開始以来初めて70%を超えた。東日本大震災以降では22.3ポイントも上昇。前年と比べた伸び率が全国で最も大きかったのが能登半島地震で被災した富山県だった。地震保険の付帯率は都道府県によって大きな差があり、最も高いのが宮城県では東日本大震災を経て地震に備えようという意識が高いことがうかがえる。地震で自宅が被災し新しく建て替える場合、壊れた家のローンと新しく建てる家のローンの二重の住宅ローン返済が必要なケースもあり、損害保険会社の中には地震保険の不足を補う「特約」を設けている商品を提供しているところもある。
戦後80年、日本とアメリカの戦争の歴史を踏まえたうえで、これからの未来に向けて平和の大切さを訴えようとする取り組みについて伝える。アメリカ・ハワイの真珠湾にある戦艦ミズーリは退役して記念館として活用されている。戦艦ミズーリは沖縄戦で旧日本軍の特攻機による攻撃を受けたことや、1945年9月2日に船上で降伏文書への調印式が行われたことで知られている。ハワイ・真珠湾にある戦艦ミズーリ記念館から中継。企画展「白い閃光 黒い雨」は広島市や長崎市、戦艦ミズーリ保存協会が企画。原爆の恐ろしさを伝えることで平和の大切さを訴えるのが狙い。入り口付近には広島市と長崎市の両市長のメッセージが英語で紹介されている。核大国のロシアがウクライナ侵攻を続ける中、核兵器がなければ平和が維持できないという考え方が強まっているとして懸念を示している。そのうえで、核兵器があるかぎり世界中どの国であっても広島市や長崎市と同じようなことが起こり得るとして核廃絶を訴えている。企画展では両市の原爆資料館から借りている展示品20点以上が展示されている。原爆に関する説明パネルや原爆の熱線、放射線の影響などについての説明パネルもある。被爆して亡くなった動員学徒の腕章や中身が焼け焦げた弁当箱のレプリカが持ち主の写真とともに紹介されている。小さい折り鶴は広島で被爆し、その後白血病を患い12歳で亡くなった女の子が回復を願いながら折った折り鶴。
広島、長崎の悲惨な原爆の実相を伝えるための展示会がアメリカの戦艦ミズーリの中で行うことができたのはなぜか。今回の企画展は保存協会が広島市や長崎市に呼びかけたのがきっかけ。第2次世界大戦について中立的な展示を心がけていて、日本の資料館とも交流しながら企画を作っていることが知られている保存協会・カー会長の存在が大きかった。アメリカ各地から企画展に訪れた方に話を聞くと、若い世代からは「原爆投下は起きてほしくなかった」「展示によって平和の大切さに気づかされた」という声があった。戦艦ミズーリは第2次世界大戦では沖縄戦にも参加していて、特攻機が衝突した時にできた痕が残されている。パネルには特攻機の攻撃で亡くなった特攻隊員の写真とともに、遺体が水葬されたことが紹介されている。当時の戦艦ミズーリの艦長の命令で乗組員が手作りした旭日旗で遺体を包んで礼砲とともに海に葬ったという。当時は反対する声もあったが、艦長は敵だとしても命を落として戦ったことに敬意を表するべきという考えを示したという。戦艦ミズーリ記念館と鹿児島県にある知覧特攻平和会館が交流していて、企画展も一緒に行っている。原爆展の他に常設展があり、知覧特攻平和会館から借りている貴重な資料を展示している。5年前から両館は姉妹館提携も結び、訪れた人たちに平和の大切さを訴え続けている。ガイドをしている日本人によると、8月に日本から訪れる親子連れなどが増えていて、中には戦後80年に合わせて来たと話す人もいたという。
戦艦ミズーリは80年前の9月2日、日本が連合国との間で降伏文書に調印した場所で、その時の様子を紹介する写真のほか、文書のレプリカも展示されている。戦艦ミズーリ記念館・フォロンダ瞳さんは「戦後80周年という重要な節目を迎え、戦争を体験された方々が少なくなる一方で、残された私たちが記憶を風化させないために後世に語り継いでいくことが益々重要になっていると感じている。戦艦ミズーリの展示を通じて来館される1人1人が平和を守るという意識を深める機会となればと願っている」と話した。
きょうは「防災の日」。東京・渋谷区・東京消防庁消防学校から中継。消防学校の学生の授業や救急隊員になるための研修などが行われる部屋。斎藤アナが心肺蘇生法を体験。
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」について。ゲストの富本斎宮太夫役、新浜レオンを紹介した。千葉県出身の29歳。去年「NHK紅白歌合戦」に出場。木梨憲武がプロデュース、所ジョージが作詞作曲。新浜レオンが「いつか大河ドラマに出たいと思っていた。それがことし叶うのは思ってもみなかった」などとコメントした。
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第33回、富本斎宮太夫初登場の映像。お便りを紹介した。新浜が「いま歌っているものの原点を今回の演技で再確認させてもらえた。勉強になった。横浜流星さんと3回目の再会。雰囲気がいい状態で臨ませてもらった」などとコメントした。