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「知覧特攻平和会館」 のテレビ露出情報

戦後80年、日本とアメリカの戦争の歴史を踏まえたうえで、これからの未来に向けて平和の大切さを訴えようとする取り組みについて伝える。アメリカ・ハワイの真珠湾にある戦艦ミズーリは退役して記念館として活用されている。戦艦ミズーリは沖縄戦で旧日本軍の特攻機による攻撃を受けたことや、1945年9月2日に船上で降伏文書への調印式が行われたことで知られている。ハワイ・真珠湾にある戦艦ミズーリ記念館から中継。企画展「白い閃光 黒い雨」は広島市や長崎市、戦艦ミズーリ保存協会が企画。原爆の恐ろしさを伝えることで平和の大切さを訴えるのが狙い。入り口付近には広島市と長崎市の両市長のメッセージが英語で紹介されている。核大国のロシアがウクライナ侵攻を続ける中、核兵器がなければ平和が維持できないという考え方が強まっているとして懸念を示している。そのうえで、核兵器があるかぎり世界中どの国であっても広島市や長崎市と同じようなことが起こり得るとして核廃絶を訴えている。企画展では両市の原爆資料館から借りている展示品20点以上が展示されている。原爆に関する説明パネルや原爆の熱線、放射線の影響などについての説明パネルもある。被爆して亡くなった動員学徒の腕章や中身が焼け焦げた弁当箱のレプリカが持ち主の写真とともに紹介されている。小さい折り鶴は広島で被爆し、その後白血病を患い12歳で亡くなった女の子が回復を願いながら折った折り鶴。
広島、長崎の悲惨な原爆の実相を伝えるための展示会がアメリカの戦艦ミズーリの中で行うことができたのはなぜか。今回の企画展は保存協会が広島市や長崎市に呼びかけたのがきっかけ。第2次世界大戦について中立的な展示を心がけていて、日本の資料館とも交流しながら企画を作っていることが知られている保存協会・カー会長の存在が大きかった。アメリカ各地から企画展に訪れた方に話を聞くと、若い世代からは「原爆投下は起きてほしくなかった」「展示によって平和の大切さに気づかされた」という声があった。戦艦ミズーリは第2次世界大戦では沖縄戦にも参加していて、特攻機が衝突した時にできた痕が残されている。パネルには特攻機の攻撃で亡くなった特攻隊員の写真とともに、遺体が水葬されたことが紹介されている。当時の戦艦ミズーリの艦長の命令で乗組員が手作りした旭日旗で遺体を包んで礼砲とともに海に葬ったという。当時は反対する声もあったが、艦長は敵だとしても命を落として戦ったことに敬意を表するべきという考えを示したという。戦艦ミズーリ記念館と鹿児島県にある知覧特攻平和会館が交流していて、企画展も一緒に行っている。原爆展の他に常設展があり、知覧特攻平和会館から借りている貴重な資料を展示している。5年前から両館は姉妹館提携も結び、訪れた人たちに平和の大切さを訴え続けている。ガイドをしている日本人によると、8月に日本から訪れる親子連れなどが増えていて、中には戦後80年に合わせて来たと話す人もいたという。
戦艦ミズーリは80年前の9月2日、日本が連合国との間で降伏文書に調印した場所で、その時の様子を紹介する写真のほか、文書のレプリカも展示されている。戦艦ミズーリ記念館・フォロンダ瞳さんは「戦後80周年という重要な節目を迎え、戦争を体験された方々が少なくなる一方で、残された私たちが記憶を風化させないために後世に語り継いでいくことが益々重要になっていると感じている。戦艦ミズーリの展示を通じて来館される1人1人が平和を守るという意識を深める機会となればと願っている」と話した。
住所: 鹿児島県南九州市知覧町郡17881

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月8日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
知覧特攻平和会館では戦場に散った若い特攻隊員たちの遺影が並ぶ。多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県。曽於市の岩川という街にも基地があった。芙蓉部隊は静岡で結成し岩川に拠点を置いた。教員だった前田さんは戦争の歴史を伝えたいと定年を迎えた夫とともに全国にいる芙蓉部隊の元隊員や遺族を探し始めた。元芙蓉部隊隊員の山本さんは航空機の整備を担当していた。芙蓉部隊は夜間攻撃[…続きを読む]

2025年8月17日放送 17:30 - 18:00 テレビ朝日
ANNスーパーJチャンネル(ニュース)
太平洋戦争の特攻作戦で婚約者を亡くした女性。生前のインタビュー映像が親族に特別に公開された。遺書を受け取った婚約者の遺族・妻木さん。遺書には婚約者へ「自分のことは忘れてほしい」と書かれていた。生前の伊達智恵子さんは「そういう時代によってもみくちゃにされた国民というのがいてどうにもならなかった時代があって、今この平和があるということ」と言葉を残している。映像を[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
1945年3月26日、沖縄航空特攻作戦が始まり死者は約2600人に上った。知覧特攻平和会館には陸軍特別攻撃隊の戦死者1036人の遺影が収められている。当時、鹿児島・知覧で食堂を営んでいた鳥濱トメさんは隊員たちからお母さんと親しまれた。1978年放送の番組で脳裏に焼き付いて離れない隊員たちとの別れの時を語っている。

2025年8月8日放送 8:14 - 9:50 フジテレビ
サン!シャインどこよりも早く1週間を総まとめ!サン!シャイン的「未読ニュース」
1945年の3月26日から8月11日にかけて行われた沖縄航空特攻作戦を巡っては、約2600人の命が失われた。特攻で命をなくした穴澤利夫少尉は婚約者に手紙を宛てていて「あなたの幸せを希ふ以外に 何物もない」とあった。手紙を受け取った婚約者の伊達智恵子さんは唯一の遺品となった煙草の吸殻を大切に保管する様子を見せていた。

2025年7月26日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
アップダウンは一風変わった漫才をしている。漫才で戦争を扱っているが北海道出身の2人が頼まれたのは北方領土漫才。これまで無関心だった歴史。初めて真剣に向き合った。 その北方領土の漫才を依頼したのは千島連盟。若い人に関心を持ってほしいと言う願いがあるという。元島民が多く暮らす羅臼町の伊藤さんは10歳のときに国後島で暮らしていた。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島か[…続きを読む]

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