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「グリエルモ・マルコーニ」 のテレビ露出情報

20世紀初め、客船「タイタニック号」が沈没した。イギリス・アメリカ間を結ぶ贅の限りが尽くされた豪華客船は「不沈船」と呼ばれ、優雅で快適な船旅が売りだった。タイタニック号よりも先に姉妹船「オリンピック号」が就航していたが、利用客の増加に伴い、船は大型化。可能にしたのはエンジン技術などの発達で、船体は鋼鉄の板で作られていた。タイタニック号の船底は16区画に区切られ、連続4区画までの浸水に耐えられる設計にするなど高度な安全対策も施されていた。1912年4月10日、2200人余を乗せたタイタニック号がアメリカに向け出港した。出港から4日目の深夜、船は大西洋に浮かぶ氷山に接触。船は徐々に沈み始め、甲板に乗客が殺到。ところが、不沈船と考えられていた船は全員が乗れる救命ボートを積んでいなかった。事故から2時間40分後、タイタニック号は沈没。1500人以上が犠牲となった。船には普及間もない無線電信が搭載されており、遭難信号を受けた100キロ離れた所にいたカルパチア号が全速力で救命ボートの救助に向かった。事故後、国際条約で、無線電信の設置と24時間の通信対応が義務付けられた。そして全員が乗船できるだけの救命ボートを設置することになった。沈没から74年、事故の原因が明らかになった。氷山と接触した際、板と板を止めていた鋲「リベット」が外れたのではないかとみられている。しかし、当時の科学技術ではどうすることもできなかった。
20世紀、人類の夢は空にも向かった。1929年8月、ドイツのツェッペリン型飛行船」が東京の空を飛行。飛行船は新素材ジュラルミンを使った骨組みを水素で浮かび上がらせていた。船内は乗客60人がくつろげる広さも兼ね備えており、飛行機がまだ少人数しか乗れなかった時代、多くの人を乗せて空を旅するという夢の実現だった。1936年には世界最大の飛行船「ヒンデンブルク号」が誕生。ヨーロッパとアメリカを結ぶ空の定期船だったが、ナチス台頭後はプロパガンダへの協力を強いられるようになった。飛行船船長のフーゴー・エッケナーはこの頃、燃えやすい水素ではなく不燃性のヘリウムで浮力を得ようとしていた。しかし、ヘリウムの一大生産地のアメリカはナチスへの警戒からドイツへの輸出を禁止。1937年5月6日、ニューヨーク郊外の基地に降り立とうとしたヒンデンブルク号が炎上し墜落。36人が亡くなり、50人以上が重軽傷を負った。事故は静電気によって発生した火花が水素に引火したことが原因とみられた。1952年、イギリスは世界初のジェット旅客機「コメット」の運行を始めた。戦闘機用に開発されたジェットエンジンの強力な推進力で高高度での飛行を実現。スピードは時速700キロまで伸びた。ところが、2年後の1954年、地中海沖でコメット機は墜落。事故原因の究明過程で、機体の耐久度が想定では1万8000回の離着陸に耐えられると考えられていたのに対し、実際は金属疲労により3000回しか耐えられなかったことが判明した。この事故後、アメリカのボーイング社は金属疲労が一部で起こったとしても機体全体の破壊には至らない構造を模索。「故障が発生することを前提とした設計」フェール・セーフが採用され、機内での音声を記録するブラック・ボックスが発明された。飛行データと合わせて事故の解明に役立てることを目指した。
しかし、ヒューマン・エラーによる飛行機事故はなくならなかった。1977年3月、スペインの空港で2機の飛行機が衝突。あわせて583人もの犠牲者を出す航空機史上、最悪の事故だった。事故は深い霧に覆われた滑走路で待機するオランダ機と移動するアメリカ機が管制官の指示を取り違えたことにより発生。判断ミスとコミュニケーション上のすれ違いが招いた悲劇だった。1960年代に入ると人類は宇宙にも飛び出していった。宇宙という未知の世界は事故と隣り合わせだった。最も悲惨な事故は1986年のスペースシャトル「チャレンジャー号」爆発事故。左右の補助ロケットの推進力で宇宙空間へ乗り出そうとしたチャレンジャー号は空中分解を起こし炎上した。7人の乗組員全員が死亡。原因は補助ロケットの接合部にある「Oリング」という部品が寒さでゴムの弾力性を失い、役割を失ったことにあった。Oリングを開発したメーカーは気温が上昇するまで打ち上げを延期するようNASAに求めていた。NASAはメーカー側に低温がOリングに与える影響をデータで求めていたが、メーカー側には安全でないことを証明するデータがなかった。最終的にメーカーは打ち上げ延期の要請を取り下げた。
1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生。現場は4つある原子炉のうちの一つ。訓練で緊急停止ボタンを入れた時、暴走し爆発に至った。おびただしい量の放射性物質が放出され、北半球全域に及ぶ範囲に広がった。ソビエトは後に、爆発直後、大量に被爆した原発運転員や消防士たち28人が死亡したと公表した。それでも拡散した放射性廃棄物などを撤去するため生身の人間が現場へと送り込まれた。彼らは「リクビダートル(後始末する人)」と呼ばれた。軍人だけでなく民間人も全土から招集され、その数は53万人に上った。事故対策を最前線で指揮したのはソ連科学アカデミー博士のワレリー・レガソフ。博士が提出した事故調査の結果報告書には核分裂反応を抑える制御棒の構造欠陥があったと記されていた。それはソビエトの原発政策の根底を揺るがす報告だった。しかし、レガソフ博士はその後のIAEAの会議で「原発技術に問題はなかった」と主張。事故原因は原発運転員の規則違反だったと報告した。博士にはソビエトの中枢から大きな圧力がかかっていた。事故から2年後、レガソフ博士は自ら命を絶った。チェルノブイリの事故から25年後、東京電力福島第一原発の事故が発生。万全と考えられていた安全対策は想定外の大地震の前に無力だった。2023年には、ドイツですべての原発が停止。物理学者でもあったメルケル首相はどんなに対策を講じても原発のリスクは消しきれないと判断していた。
今年1月、世界最大1万人を収容可能な旅客船がアメリカで就航。最適な航路を選ぶのはAI。中国やアメリカではすでに公道をAIを活用した無人タクシーが走っている。一方で事故も多発。テスラ者の自動運転支援システムを搭載した車は350万台のリコールに追い込まれた。ノンフィクション作家の柳田邦男は「科学技術の発展は人間にとって大きな福利をもたらすプラスの面がある一方で、個人や社会に損害を与えるマイナスの面が必ずといってよいほどある。本来主人公であるべき人間にとって科学技術はどうあらねばならないかを原点に帰って考えるべき時期ではなかろうか」と提言している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年4月8日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
20世紀初め、客船「タイタニック号」が沈没した。イギリス・アメリカ間を結ぶ贅の限りが尽くされた豪華客船は「不沈船」と呼ばれ、優雅で快適な船旅が売りだった。タイタニック号よりも先に姉妹船「オリンピック号」が就航していたが、利用客の増加に伴い、船は大型化。可能にしたのはエンジン技術などの発達で、船体は鋼鉄の板で作られていた。タイタニック号の船底は16区画に区切ら[…続きを読む]

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