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「第10サティアン」 のテレビ露出情報

30年前、オウム真理教の教団施設から一時保護された、加奈さんが山梨・富士河口湖町、旧上九一色村にあった教団施設跡を訪れた。ここにはかつて第10サティアンと呼ばれる教団施設があった。親に連れられてきた子どもたちが集団生活を送っていた。加奈さんは5歳のときにこの施設にやって来た。家族関係に悩んでいた母親の入信がきっかけだった。オウムの教えは現世の否定、社会との関わりをたち、家族への執着も否定するものだった。加奈さんも母親から離され、子どもたちだけで修行中心の生活を送っていた。1995年3月20日、サリン事件が発生。その後、警察は教団施設に強制捜査に入った。施設内部で劣悪な環境に置かれていた子どもたちの様子を伝えた。53人の子どもが保護され児童相談所に移された。今回、情報公開請求で児童相談所の資料2800点を入手。子どもたちのメモや日記などが含まれていた。日記からは教団の外に向けられる敵意などが読み取れた。保護から1ヶ月後の5月16日、教団の代表・麻原彰晃が逮捕された。子どもたちが心身の健康を取り戻すためにはどのような支援が必要なのか、当時、国が専門家を集め研究を進めていたことが分かった。報告書には特異な生活体験が人格形成にどのような影響を与えたか、今後さらにフォローしていかなければならない問題と記されてた。ところが研究は2年で終わってしまった。一時保護された53人の子どもたちは3ヶ月後には、全員が児童相談所を離れ親元や養護施設などに移された。
加奈さんは母親に引き取られ2人で暮らし始めた。オウムから来たことは言わないでねと、母親にも小学校の先生にも言われた。中学生に通い始めるなかで加奈さんを苦しめたのは「現世は超越するべきもの」というオウムの教えだった。自分をオウムに連れて行った母親との関係は次第に悪化。やり場のない気持ちは最後は自分に向かい、腕を切ったりしていたという。
健一さんは5年間、オウムの施設で暮らしていた。自分の過去を周囲に話せない理由の1つは、社会で続いていたオウムへの強い風当たりだった。現在40代で子どもも妻もいるが、オウムのことは話していないという。今もオウムの教えを信じている人もいた。安倍元首相の銃撃事件。被告は家族が信仰していた宗教団体への恨みが供述している。そのニュースは加奈さんが自分の過去を改めて振り返るきっかけになった。

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