サンダカン平和記念公園には捕虜収容所だった名残を残し、サンダカン死の行進を伝える展示施設もある。馬場さんは司令官だった自分の祖父が連行される写真をじっと見つめた。シンシアさんは自分の祖父が眠る墓地を見せてくれた。英語が話せるという理由だけで処刑されたシンシアさんの祖父、手を下したのは祖父の友人だった日本兵だった。参加者たちは毎晩和解について話し合った。ボルネオ島にあるシンシアさんの自宅で慰霊祭が行われた。加害者・被害者の立場を超えて行われる初めてのセレモニー。庭の石碑には参加者の親族の名が刻まれ、敵味方の区別はなかった。