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「シン・ヒョットコ」 のテレビ露出情報

阿部サダヲさんは松尾スズキさんについて「自転車を買ってくれて、九州のカッコイイ男」「映画監督の時、トイレに台本を落として洗っていた」「柔らかいうどんが好き」などと語った。去年還暦を記念して開かれた初の個展「松尾スズキの芸術ぽぽぽい」で展示されていた作品をスタジオで紹介。「濁流」は本人が描かれており、個展に出てくるキャラクターをまとめて描いている。「シン・ヒョットコ」はコロナ禍で描き始め、飾るために自分で描いたものだという。個展の後に描かれた絵画はタイトルはまだなくコラージュ作品で、台湾で売られていた絵を切り貼り直し、上から描き足したもの。コロナ禍で描き溜めていたものを発表しないかと言われ、青山のスパイラルホールで個展を開いたが、描いてた絵だけでは足りずさらに描き足したという。全部で約300点あったという。会場で流れていた音声ガイドは松尾さんが台本を書き、吉田羊さんとともに吹き込んだもの。
個展「生誕60周年記念 art show 松尾スズキの芸術ぽぽぽい」の音声ガイドを紹介。吉田羊さんからのメッセージを紹介。音声ガイドを吹き込んだ時について「音声ガイドの体をした音声コント、つまりこれも一つの作品。視覚、聴覚両方で松尾さんの頭の中を覗ける贅沢な体験」と綴った。絵は赤塚先生に影響を受けてるとし、芝居にも影響を受けていると思うと語った。大人計画について、松尾さんが25歳の1988年に旗揚げをし、当時は情報誌のぴあで募集していた。元々サラリーマンとして上京し、仲間とともに劇団を始めた。当時集まったのは4人で、1人が稽古中に辞めたという。1988年の旗揚げ公演について、新宿の小さな劇場で別の劇団がやった後の桟敷席でタダでやらせてくれる企画があり、そこで5人でやったという。1989年、3作目の「マイアミにかかる月」を上演し、バラエティ番組に出演した。1991年には宮藤官九郎さん、1992年には阿部サダヲさんがオーディションを経て入団された。阿部サダヲさんはオーディションについて「払うお金を渋ってて印象がよくなかったみたいで、なんで受かったか分からない」と語った。
松尾スズキさんは「阿部サダヲさんはオーディションに軍服を着てて、顔色悪くて目つきも悪く、落としたら何されるか分からないと思ったが、即興劇が面白くそこに賭けてみたんだろう」と語った。宮藤官九郎さんは作家募集の際に入り、作家は他に2~3人いたが宮藤官九郎さんが生き残ったという。オーディションはしなかったが書いたものを見せてもらったら面白く、佇まいが気に入って合格したという。荒川良々さんについて、別の劇団で5~6人でやってたが面白くて引き抜いたという。2000年に平岩紙さんが加入された。大人計画のオーディションの選考ポイントは「恥ずかしさを持ち合わせているか」。松尾スズキさんは「人の書いたものを実体化するのが仕事なので、そこを履き違えている人はバイバイ」と語った。芸名について、松尾さんが売れてほしいと思いつけており、変わった名前で統一したかったという。現在上演中の作品「ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-」。
上演初日まで1週間を切った今月6日の「ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-」の舞台稽古の様子を紹介。舞台は新宿歌舞伎町で、薬剤被害で障害児として生まれたふくすけと欲に突き動かされる人らの姿を描く。阿部サダヲさんは少年鑑別所を出て日本舞踊団に弟子入りした男を演じ、黒木さんは盲目の女性を演じる。2人は夫婦となり、男は警備員として働きながら歪んだ愛情を女に注ぐ。黒木さんはこの公演が松尾さんの舞台初参加である。松尾スズキさんは黒木さんを選んだ理由について「約10年前から自分の芝居を見てくれて仲良くなり、いつか出てほしいという話をずっとしていた。今回この役が合うと思い、オファーした」と語った。初演は1991年で、宮藤官九郎さんの初舞台である。今回で4度目の上演となり、エンタメ寄りにショーアップされている場面もあるという。

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