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「スタジオパークからこんにちは」 のテレビ露出情報

高見のっぽさんは工作のお兄さんののっぽさんを20年以上にわたり演じ子どもから大人まで親しまれた。昭和9年に京都で生まれた高木さんは父はチャップリンのモノマネが得意な芸人だったという。16歳の頃からタップダンスをはじめ、ミュージカル映画を見て華麗なステップに魅了されたという。独学でタップダンスを習得し高校卒業後は父親の鞄持ちをしながら舞台にたつがなかなか芽が出ず。父は仕事がなく落ち込む息子を常に励ましていたという。昭和41年には31歳のときに教育テレビの子供向け番組のなにしてあそぼうの出演者に抜擢された。身長が180センチあまりあることからのっぽさんというあだ名がついた。その後できるかながスタートし、様々な工作を楽しみ遊ぶ。一切喋らず身振り手振りで感情を表現した。大切にしていたのはテレビの前の子供達の存在。視聴者を子供扱いせずに一人前の観客としてとらえ、ジェスチャーだけでのっぽさんを演じた。そしてできるかなの最終回ではこどもたちはあっと驚くことに。20年以上無言を貫いてきたのっぽさんが喋った。
のっぽさんを演じ続けた高見さん。のっぽさんから離れて再出発しようとしたがかつての子どもたちはかつての思い煩いのない自分に会いに来ると答え、のっぽさんにこだわることはなくなったという。その後は本の執筆や子供向けの歌の作詞など活躍の場を広げた。平成17年には71歳で歌手デビュー。反響をよんだグラスホッパー物語は高見さんが作詞を手掛けた。それまではのっぽさんの仕事をずっとしていたが新しい仕事で失敗をすればのっぽさんを傷つけると思い、ずっと活動に制限をかけていたがそれではだめだと思ったという。またその後グラスホッパーの曲を再び手掛けんミュージカルにまでにした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月24日放送 1:36 - 2:19 NHK総合
あの日 あのとき あの番組君もアンパンマンになれる!漫画家 やなせたかしからのメッセージ
やなせたかしさんが妻・暢を語る映像を紹介。やなせさんは美少女タイプだったが気性が男がまさりで韋駄天おのぶと呼ばれていたという。2人が出会ったのは終戦直後の新聞社だった。やなせさんにとっては仕事以外何でも頼れる女性だったという。

2025年5月10日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
俳優の西田敏行さんは昭和22年に福島県郡山市で生まれ、伯母の家に養子に出された。西田さんは養父が連れていってくれた映画が俳優を志すきっかけとなり、俳優を目指して東京の高校に進学した。なまりを笑われてホームシックになった西田さんは、上野動物園のゴリラに親近感を感じた。西田さんは劇団青年座に入団し、舞台「写楽考」などに出演した。西田さんはドラマ「池中玄太80キロ[…続きを読む]

2025年5月7日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
辻村寿三郎はおととし89歳で亡くなった。人形劇新八犬伝や真田十勇士などで人形美術を手掛け、注目を集める。ちりめんなどの伝統的な布地を使う幻想的で妖艶な作風。独自の創作人形の世界を切り開いた。辻村さんは昭和8年、旧満州現在の中国東北部生まれ。生後間もなく芸者が出入りする料亭辻村家の養子となる。昭和19年、11歳で母親の故郷広島県に引き上げる。そこでは伝統的な小[…続きを読む]

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