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「スワードコミュニティ図書館・博物館」 のテレビ露出情報

23歳のカワベもゴールドラッシュにかけた。アラスカの日系移民の研究者・ロナルド・イノウエさんはカワベについて調べ論文を書いていた。新たなビジネスに挑むカワベだったがゴールドラッシュは長く続かなかった。採掘者は立ち去り、カワベの商店は借金だけが残った。それでもカワベはくじけず、借金返済のために、街の人のために水を運ぶ仕事をはじめた。借金を完済した25歳のカワベは心機一転新天地のスワードへ向かう。スワードにある博物館の学芸員のアリソン・ステイシーさんに話しを聞く。この頃、スワードからアラスカ鉄道の建設がはじまり街は活気づいていた。カワベは鉄道が敷かれ、ビジネスが確立されていくと予想してこの地にやってきたという。カワベは生活に不可欠な選択に着目しランドリー経営をはじめる。1921年の新聞にカワベの記事があり、アラスカで最も近代的なランドリーと記されていた。事業は波に乗り、メインストリートに店を構えるまでになった。今回の取材で貴重なランドリーの店内の写真が見つかった。さらに、カワベは港に停泊する船をみて、衣類を回収し洗濯して届けるサービスをはじめた。1924年、日本からアメリカへの移民を事実上禁止する法律が成立。晩年、カワベは当時のことを反日感情のために多くの困難に直面したと語っている。ある時、停泊する船の船長が日本人のランドリーは使わないと言った、懸命に働くカワベの姿を見て市長がそれなら船を停泊させないして手を差し伸べた。カワベは多くの仲間ができたとも語っている。カワベは誠実な仕事で信頼関係を築き上げていった。アラスカ鉄道や陸軍など大手とも次々と契約を結んでいった。カワベは一部のビジネスが移民に制約されている中で不条理な法律に立ち向かい、訴えは認められ酒類などの販売ができるようになった。その後、幅広い事業を手がけ、街の発展に貢献していった。子どもがいなかったカワベは事情を抱えた子どもたちを積極的に受け入れた。

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