TVでた蔵トップ>> キーワード

「ダバオ(フィリピン)」 のテレビ露出情報

戦前フィリピンには多くの日本人が移住し、麻の栽培などを行っていた。最盛期には約3万人が暮らし、フィリピンの人と結婚して家族を持った人も多くいた。寺岡カルロスさんは日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた日系2世。みんな仲良く暮らしていたが、日本軍がフィリピンに侵攻して暮らしが一変した。フィリピン人の一部は抗日ゲリラとなって活動し、日本人は憎悪の対象となった。兄2人は日本軍に徴用され、寺岡さんは母・2人の妹・弟とジャングルへ逃げ込んだが、アメリカ軍の爆撃にあって母・妹・弟を亡くした。生き残った妹と逃げ続け、終戦から1カ月後に米軍の捕虜となった。長兄はスパイの容疑で日本軍に銃殺され、次兄はフィリピンゲリラに捕まって首を切られたという。
戦後、日経フィリピン人たちは過酷な運命に晒される。残留日本人2世のウエハラ・パムフィラさん(85)はフィリピンのリナパカン島で妹たちと暮らしている。戦争が始まると、父は「ウエハラ」を名乗ることを禁じた。日本人だと分かるとゲリラに殺されるおそれがあった。トラックで連れて行かれた父は戻ってこなかった。フィリピンでは戦後も激しい反日感情が続き、小学校までしか行くことができなかったウエハラさんは貧困に苦しんだ。当時のフィリピンでは子どもは父の国籍に属すると法律で決まっていた。日本との関係が切れてしまったウエハラさんは「無国籍」になってしまった。ウエハラさんは「日本人」と認めてほしいと願い続けている。
NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンターは無国籍となってしまった残留日本人2世の日本国籍を回復する支援を行っている。モリネ・リディアさん(80)はフィリピン人の母から聞いた記憶を頼りに戦時中に亡くなった父の事を伝えようとしていた。4人の兄弟のうち2人は他界。5歳上の姉・エスペランサさんは島の対岸に暮らしている。日本国籍を回復するためには多くの困難が立ちはだかっていた。
ダバオで年に1度の日系人会の総会が行われた。無国籍の2世も6人が参加した。取材班は戦前の日本人移住者の写真をカラー化し、見てもらった。
日本国籍を回復するための申請は弁護士が行い、証拠資料をもとに家庭裁判所が判断する。調査開始から20年となり、304人が日本国籍を回復したが、モリネさん姉妹は父親と思われる男性と親子関係を証明する書類が無かった。そこで日本国内の親類を探す新たな調査が始まった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月23日放送 17:30 - 18:35 TBS
報道特集(特集)
1938年、大阪毎日新聞のカメラマンが撮影した戦地の日本兵。この写真は軍の検閲で掲載不許可になった。毎日新聞大阪本社のアーカイブ室には日中戦争から太平洋戦争にかけての戦中写真が並ぶ。657人の特派員が6万点の写真を撮影し、91人が殉職した。検閲による不許可のスタンプが多い。国平幸男カメラマンの長男・雅宏さんは父と同じ元毎日新聞カメラマン。生涯カメラマンだった[…続きを読む]

2025年4月22日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン旬の番組テイスティング
世界ふれあい街歩きからフィリピン南部・ダバオを紹介。東京23区の4倍という面積を持ち、住宅街へ向かうと子供が賑わう様子が見られた。学校に対して児童数が多いことから朝のクラスと昼のクラスが別れていることで昼ごろから向かう児童も多いのだという。トライシクルという乗り物で子供たちは移動する様子が見られる。街の中心部は服が山積みとなる様子が見られたがここは古着屋なの[…続きを読む]

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.