TVでた蔵トップ>> キーワード

「チャールズ」 のテレビ露出情報

シェルチェアの生みの親はイームズ夫妻だが夫のチャールズは1907年にアメリカのミズーリ州セントルイスに生まれ建築家だった。ある教会の設計で評価されたことでミシュランのクランブルック美術アカデミーに招かれ二年後にインダストリアルデザイン科科長になった。妻の例は1912年にアメリカのカリフォルニア州にサクラメントに生まれた。ニューヨークに出て絵画を学んだ後にクランブルック美術アカデミーに入学した。同じ学校の教師と生徒として出会った二人だがチャールズがレイに惹かれ結婚し1941年にカリフォルニアに移り住んで二人三脚で製品の開発を行う。最初に生まれたのはレッグスプリント。第二次世界大戦中で負傷した兵士のために作られたもので、成型合板という、何枚も薄い木版を張り合わせて熱と圧力で板を曲げる技術が使われる。合板は、ただ曲げると割れてしまうがイームズは穴を開け圧力を逃がすことで複雑な局面を生み出すことを可能にした。その技術を椅子にも応用したのはLCW。プライウッド ラウンジチェア ウッドベースという木製の椅子だが光石は座り心地にフィットしていると答えた。背もたれ、座面、足すべてのパーツが成型合板で作られ、人体に沿う絶妙な角度で繋がれている。イームズが目指していたのは背もたれと座面が一つになって体を包み込む究極の座り心地を目指していた。かつて試みたこともあったが、どうしてもヒビが入ってしまい木材では限界があった。
LCWから5年後の1950年にはイームズ夫妻はシェルチェアで背もたれと座面の一体化に成功した。表面をよくみると素材の中に繊維質のものが混ざっている。これはFRPと呼ばれるガラス繊維強化プラスチック。第二次世界大戦中に開発が進み船や戦闘機のボディを作る素材を椅子に使おうと考えた。FRPは、軽くて丈夫で型にはめればどんな形状にもなった。戦後のアメリカに訪れたのは歓喜の時代。空前の好景気に人々が沸き立ち大量生産、大量消費が始まった。シェルチェアは庶民が求める椅子そのものだった。当時の販売価格は20ドル前後で男性用のスーツの半額ほどの値段で、コンパクトに重ねることもできると輸送コストも抑えられ瞬く間に全米に広がった。椅子の基本的な構造やデザインはチャールズが担当した。一見華奢にみえる構造は体重を支える足に秘密があり、足にはシンプルな三角形が複雑に重なり合った強固な構造になっていて、人の体を数値ではかり、それを美しいフォルムに仕上げたがこの手法はレオナルド・ダ・ヴィンチと一緒だったという。しかしチャールズは煮詰まった際に妻に助けを求めていたが、カラフルでポップなシェルの色はレイの力が大きかったという。工業製品の確率的なイメージを覆し、色を選び用途に応じて足も選ぶ。自分好みの椅子を手に入れる喜びは歓喜の時代に生きる人々を魅了した。
イームズがシェルチェアで最も苦労した部分は?と問題が出た。正解はシェルに穴をあけることなく足を取り付けられるよう接着された黒いゴム。ショックマウントと呼ばれ、座った時の衝撃を吸収する機能がある。こうして小さな部品にこだわることで全体のデザインも美しくなるという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月3日放送 20:55 - 22:00 TBS
マツコの知らない世界(マツコの知らないミニチュアの世界)
まい泉 本店の超貴重なイスは、46年前のオープン当初から使われているイームズのイス。イスを選んだのはデザイナーの創業者の弟で、当初は全てこのイスだったが現在は22脚のみとなっている。全て70から90年代の日本製で、座面が少し低いという。
西武ライオンズの本拠地ベルーナドームは、イス好きが集う激アツスポットだという。背もたれとクッションが付いていて、立って応[…続きを読む]

2024年3月9日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち(オープニング)
イームズシェルチェアを特集。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.