2024年3月9日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京

新美の巨人たち
【イームズ“シェルチェア”「究極の普通」に隠された魅力】

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(オープニング)
今回は…

イームズシェルチェアを特集。

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チャールズ・イームズレイ・イームズ
オープニング

オープニング映像。

新美の巨人たち
イームズ・シェルチェア 70年変わらないデザイン

イームズ・シェルチェアは70年前から変わらないデザインで現在も生産されている。チャールズ&レイ・イームズがデザインしたシェルチェアは1950年に発売された。座面と背もたれが一つになった椅子で彫刻のようななめらかなフォルムがシェルのように体を包み込むような形。繊細な色使いで足には金属から木製、揺り椅子まである。光石もシェルチェアを持っていると答え日常使いをしていると答えた。シェルチェアは肘掛けのあるアームチェアと、スッキリとしたサイドチェアの2種類の形から選ぶことができる。さらにシェルの色は目的に合わせた足の形状を組み合わせ自分だけの椅子をオーダーメイドできる。シェルがメッシュ状になったワイヤーチェアや布製のカバーやクッションもつけられるという。椅子の形は同じだが質感や色の違いでありとあらゆる表情を見せてくれるという。座り心地に光石はすごく良いと答え座面の角度がどんな人にも座りやすいと答えた。20世紀の中頃に生まれ、椅子のイメージを180度買えてしまったというイームズのシェルチェアだが、武蔵野美術大学の寺原芳彦は50年以上シェルチェアの魅力を解き明かしてきたという。見せてくれたのはシェルチェアの原点となった作品。

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シェルチェアの生みの親はイームズ夫妻だが夫のチャールズは1907年にアメリカのミズーリ州セントルイスに生まれ建築家だった。ある教会の設計で評価されたことでミシュランのクランブルック美術アカデミーに招かれ二年後にインダストリアルデザイン科科長になった。妻の例は1912年にアメリカのカリフォルニア州にサクラメントに生まれた。ニューヨークに出て絵画を学んだ後にクランブルック美術アカデミーに入学した。同じ学校の教師と生徒として出会った二人だがチャールズがレイに惹かれ結婚し1941年にカリフォルニアに移り住んで二人三脚で製品の開発を行う。最初に生まれたのはレッグスプリント。第二次世界大戦中で負傷した兵士のために作られたもので、成型合板という、何枚も薄い木版を張り合わせて熱と圧力で板を曲げる技術が使われる。合板は、ただ曲げると割れてしまうがイームズは穴を開け圧力を逃がすことで複雑な局面を生み出すことを可能にした。その技術を椅子にも応用したのはLCW。プライウッド ラウンジチェア ウッドベースという木製の椅子だが光石は座り心地にフィットしていると答えた。背もたれ、座面、足すべてのパーツが成型合板で作られ、人体に沿う絶妙な角度で繋がれている。イームズが目指していたのは背もたれと座面が一つになって体を包み込む究極の座り心地を目指していた。かつて試みたこともあったが、どうしてもヒビが入ってしまい木材では限界があった。

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LCWから5年後の1950年にはイームズ夫妻はシェルチェアで背もたれと座面の一体化に成功した。表面をよくみると素材の中に繊維質のものが混ざっている。これはFRPと呼ばれるガラス繊維強化プラスチック。第二次世界大戦中に開発が進み船や戦闘機のボディを作る素材を椅子に使おうと考えた。FRPは、軽くて丈夫で型にはめればどんな形状にもなった。戦後のアメリカに訪れたのは歓喜の時代。空前の好景気に人々が沸き立ち大量生産、大量消費が始まった。シェルチェアは庶民が求める椅子そのものだった。当時の販売価格は20ドル前後で男性用のスーツの半額ほどの値段で、コンパクトに重ねることもできると輸送コストも抑えられ瞬く間に全米に広がった。椅子の基本的な構造やデザインはチャールズが担当した。一見華奢にみえる構造は体重を支える足に秘密があり、足にはシンプルな三角形が複雑に重なり合った強固な構造になっていて、人の体を数値ではかり、それを美しいフォルムに仕上げたがこの手法はレオナルド・ダ・ヴィンチと一緒だったという。しかしチャールズは煮詰まった際に妻に助けを求めていたが、カラフルでポップなシェルの色はレイの力が大きかったという。工業製品の確率的なイメージを覆し、色を選び用途に応じて足も選ぶ。自分好みの椅子を手に入れる喜びは歓喜の時代に生きる人々を魅了した。

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イームズがシェルチェアで最も苦労した部分は?と問題が出た。正解はシェルに穴をあけることなく足を取り付けられるよう接着された黒いゴム。ショックマウントと呼ばれ、座った時の衝撃を吸収する機能がある。こうして小さな部品にこだわることで全体のデザインも美しくなるという。

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イームズのシェルチェアには日本にも大きな影響を与えていた。駅のホームに置かれている待合のベンチはシェルチェアと似ている部分がある。剣持勇は戦後の日本を代表するプロダクトデザイナーでラタンチェアや柏戸イスなど数々の名作を生み出してきた。シェルチェアをみた剣持は彫刻作品のようだどと興味をひかれていた。剣持は日本で唯一FRP製品の大量生産が可能だった家具メーカーの寿商店と手を組んでイスの開発を行った。1964年に東海道新幹線が開通した際に剣持がデザインしたシェル型のイスは最先端の椅子として駅のベンチに採用された。1970年の日本万国博覧会でも至る所にシェル型のイスが。やがて日本中にFRP製の椅子が作られるようになり身近な存在に。シェルチェアで成功を収めたイームズ夫妻は映像制作や展覧会の企画など様々な表現に挑んでいった。二人が建てたモデルハウスはイームズハウスと呼ばれ、夫婦の住まいになった。モダンアートのような外観で、家具や置物にこだわり快適な空間をつくりあげた。しかし美しいだけでなく、柱もガラスも当時一般に流通していた工業用の部材のみを使っている。目指したのは誰でも簡単に建てることのできる家。当たり前のように実現できると証明したかったという。イームズ夫妻の願いは70年経過した今でもシェルチェアを通して世界中に広まっている。

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イームズシェルチェアが長年愛される理由に寺原は究極の普通だからと答えた。光石は俳優として個性がないのが個性というのが自分の特徴でイームズシェルチェアのように普通を目指したいと答えた。現在東京日本橋高島屋でイームズの名品が揃う椅子とめぐる20世紀のデザイン展が開催している。

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(エンディング)
次回予告

新美の巨人たちの次回予告。

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