世界中を転々とした少年時代。YUSKさんはスイスに引っ越した8歳ごろから症状が出始めるようになった。症状が悪化したのはニューヨークに引っ越した中学生の頃から。母・嘉子さんは当時の症状について振り返った。YUSKさんは著書の中で「これか人前でトゥレットの症状が出て苦しんでいるときに味わう感情なのである」と記している。YUSKさんは強迫症状も併発しており、パソコンのキーボードの「J」が自分や家族が不幸になるという、強迫観念が襲ってくることを明かした。ピアノを弾き始めると症状が止むとに気が付き、YUSKさんの人生は変わり始めた。