荒川静香は5歳の時にフィギュアスケートに出会った。中学時代には全国大会3連覇。高校時代は全日本選手権2連覇。16歳で出場した長野五輪では13位。元々目標がオリンピック出場だったため次の目標が見つけられず、4年後のソルトレーク五輪を逃した。そんな時、アメリカで見たエンタメとして魅せるアイスショーに魅了され、アイスショー出演のため世界トップを目指すことを決意。2006年のトリノ五輪ではアジア人初の快挙となる金メダルを獲得した。荒川の代名詞であるイナバウアーは点数がつかない技だが、記憶に残るスケーターになりたいとあえて振り付けに採用している。荒川の世界一になれたヒミツはサブウェイをアルバイトをしたから。当時は感情を伝えたり、曲を表現するのが得意ではなくフィギュアが向いてないと思っていた。しかしバイトを通じて接客でまた来たいと思うかが変わることに気づき、フィギュアでも表情に人に伝える気持ちが大事である事に気づいたという。