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「トヨタ2000GT」 のテレビ露出情報

80年代初め、オートバイの市場をめぐって2つの企業が熾烈な競争を繰り広げていた。静岡県を発祥とするHとY。1位を独走するホンダに万年2位のヤマハが仕掛けた。八千草薫をCMに起用しスカートでも乗れるスクーターを発売したところこれが大ヒット。勢いに乗るヤマハは生産を拡大、1位を狙った。ところが過剰生産で在庫を抱え350億円の赤字に転落。HY戦争は敗北に終わった。巻き返しを図るべくヤマハが立ち上げたのが事業開発室。使命は「新たな事業を生み出すこと」。事業開発本部長には長谷川武彦。名車トヨタ2000GTの共同開発に携わり「ヤマハに長谷川あり」と言われたカリスマ。その長谷川が事業開発室長に任命したのが藤田武男。手柄は語らず笑顔すらめったに見せない実直な男。アイデアを出してきた男が菅野信之だった。菅野は天才的な発想の持ち主だが「変わり者」と言われていた。フィットネスブームの中で面白い自転車を思いついたが室長の藤田は似た乗り物が既に発売されていることを知っていた。漕がずともエンジンだけで走ったため「原動機付き自転車」に区分され運転免許が必要となり普及しなかった。しかし本部長長谷川の反応は違っていた。「これは風の強い中買い物に行く人が坂を上ったりする時きっと役に立つ」。「感動を届けてこそ」HY戦争を経た長谷川の考えだった。
1989年4月、菅野は試作に着手。目指したのはモーターが漕ぐ人をアシストしてくれる自転車。ちょうどいいモーターを探すうち菅野はひらめいた。パワステのモーターを入手し中古の自転車に取り付け始めた。事業開発室で製品化にたどりつけるのは1000に3つあるかないか。菅野はこれまで事業を成功させたことが一度もなかった。着想から1年、試作車が完成。気がかりは室長藤田の反応。藤田もまた感動に胸弾ませていた。しかしその矢先、発案者の菅野は新しいことをやりたいと唐突に離脱した。進み始めたプロジェクトにいきなり暗雲が立ちこめた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月25日放送 1:53 - 2:23 TBS
HIGHSPEED Etoile(エンディング)
作中に登場したトヨタ2000GT(所属:トヨタ自動車株式会社)のマシンを紹介。

2024年5月21日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽかぽいぽいトーク
京本政樹の勝手なイメージについて小杉さんは「飲み会用のくみヒモ持ち歩いてたっぽい」をあげた。京本さんは△だとし「さっきみたいにやっぱりやってくれが多い。組紐持ち歩かなくても代用品は必ず頭の中で見ている。花とかでブスっと。喜んでもらえる」などと話しけん玉を刺してみせていた。京本さんはポテトチップスを食べた事がないということで急遽用意され試食、「噛めば塩気が出て[…続きを読む]

2023年12月16日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
1億3000万人のSHOWチャンネル全国1位のとこだけ行ってみたSP
北群馬郡にある「伊香保おもちゃと人形自動車博物館」はプロが選ぶ観光・食事・土産物施設100選で26年連続入選し、年間約40万人が来場する。3万点の展示物は横田館長が1人で集めたという。個人経営の博物館集客数で全国一。館長は元大工で子どもの頃を再現した昭和レトロコーナーは自分で作ったという。館長が大好きなプロレスコーナー、平成コーナー、テディベアコーナーなどが[…続きを読む]

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