週末、安福氏は地元のバスケットチームで汗を流した。チームのなかで最年長ながら、20代の若手を相手に善戦するという。兵庫県出身の安福氏は6歳から15歳までアメリカで過ごし、疎外感、閉塞感を肌で感じた。腕前で評価される外科医を志し、呼吸器外科は未発達だったからこそ、伸びしろがあると思ったという。医師になって2年目、安福氏は1人の患者を担当。同じ病院で働く看護師の父親だった。手術で開胸すると、がんは想定以上に進行し、胸を閉じるほかなかった。抗がん剤による治療が行われたが、男性は死去。安福氏は涙を流すと、患者の娘である看護師から「涙を流す診療はしないで」と言われた。悔いが残らない診療ができるような医者になってほしいというメッセージと受け取り、呼吸器外科医の大岩孝司氏とともに治療に明け暮れた。胸腔鏡を使った手術、新たな検査法に挑むなか、42歳の時、世界屈指のチームに招聘された。