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今回、呼吸器外科医の安福和弘氏(58)に密着。執刀数は5000件をこえ、肺がんにおいて驚異的な実績を積み上げる。極限まで負担をおさえる術式、検査方法を確立してきた。見据えるがん治療の夜明けとは。
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- 肺がん
安福和弘氏は42歳の時にカナダ・トロントに渡り、自宅から車で約15分のトロント総合病院に勤める。同病院は研究、臨床において世界屈指の実績があり、最新の格付けでは世界3位。安福氏は呼吸器外科のトップを任されていて、年間2000以上の治療を行う。患者の1人、59歳男性は肺にがんがあり、転移を防ぐため手術で一部を切除することに。
安福氏はロボット手術を採用している。手術で生じる傷を極限までおさえれば、高齢者の体でも耐えうるといい、95歳の患者は手術から2日で帰宅できたという。肺は心臓と接し、周囲には重要な血管、神経が集中している。困難な状況が出来した時、安福氏は瞑想によって心拍数を落とし、メンタルをコントロールする。目を開くと、5分以上、瞬きすることなく、指先を動かし続けた。今回、出血量を極限にまでおさえ、手術を終えた。目標とするのは無血の手術で、患者はより早く日常生活へ戻ることができる。手術から4時間後、男性は目を覚まし、翌日に退院することが決まった。
安福氏は人体をほとんど傷つけず、体内から肺がんかを診断する医療器具を開発した。肺がんのリンパ節転移の診断精度を向上させた。自宅では体幹、心肺機能を高めるトレーニングを行っている。また、その日のうちに手技を記録していて、ノートは30年以上書き留めてきた。安福氏は「平凡ですが、人より頑張れる自信はあります」と話す。
安福氏らは去年1年間だけで217件という肺移植を行い、世界一を記録。6月、病院に届けられた肺の状態を確認すると、移植に耐えうると評価された。移植を受けるのは肺気腫が進行した男性で、酸素吸入なしでは日常生活を送ることができない。左右両肺の移植は高難度で、1割が命を落とすとされる。手術は午前3時に始まり、人工心肺を使えば難易度は下がるが、安福氏らは患者に負担をかけると用いなかった。血流を再開させると肺が空気を取り込みはじめ、午前7時に終了。30分後、安福氏は椅子に腰掛けることなく、診察へと向かった。患者は2週間後、退院した。
週末、安福氏は地元のバスケットチームで汗を流した。チームのなかで最年長ながら、20代の若手を相手に善戦するという。兵庫県出身の安福氏は6歳から15歳までアメリカで過ごし、疎外感、閉塞感を肌で感じた。腕前で評価される外科医を志し、呼吸器外科は未発達だったからこそ、伸びしろがあると思ったという。医師になって2年目、安福氏は1人の患者を担当。同じ病院で働く看護師の父親だった。手術で開胸すると、がんは想定以上に進行し、胸を閉じるほかなかった。抗がん剤による治療が行われたが、男性は死去。安福氏は涙を流すと、患者の娘である看護師から「涙を流す診療はしないで」と言われた。悔いが残らない診療ができるような医者になってほしいというメッセージと受け取り、呼吸器外科医の大岩孝司氏とともに治療に明け暮れた。胸腔鏡を使った手術、新たな検査法に挑むなか、42歳の時、世界屈指のチームに招聘された。
複数の手術を経験してきた男性の胸部に悪性の腫瘍が見つかった。男性の家族はロボット手術を希望したが、ロボットアームを挿入する左半身の筋肉、骨の損傷が深刻だった。手術当日、安福氏らは左ではなく、右半身にアームを挿入し、左側の腫瘍を目指すという高難度の術式を患者に伝えた。手術開始から1時間後には腫瘍に到達しているはずが、悪戦苦闘。さらに腫瘍を特定するも、付近には危険な静脈があった。安福氏は静脈と腫瘍の間にメスを入れて切り分け、無事に腫瘍を取り除いた。翌日、男性は自らの足で歩き、退院した。
安福和弘氏にとってプロフェッショナルとは、「一つの目標に向かって突き進む。最後まで諦めず、妥協せずに進化し続けられる人」と語った。
「プロフェッショナル」の次回予告。
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