日本のデザインを担ってきたのは多くの無名の職人たちだった。柳宗悦たちの民藝運動は、大量生産が進む時代に各地で衰退していく手仕事の価値を訴えた。大分・日田市で作られる小鹿田焼の始まりは農作業の傍ら地元の土で普段使いの器を作ったことで、家ごとにその手仕事を受け継いできた。鮮やかな絵の具はないが、使う人を楽しませようと身近な道具で工夫した。小鹿田焼は今、世界各地に出荷されている。フランスやアメリカでは割れた器を漆と金で修復する金継ぎがブームになっている。新型コロナで夫を亡くした女性は息子に「壊れても継ぎ直せば美しくなる」と金継ぎの皿をプレゼントされ、夫の死に向かき合う力をもらったと話した。