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ハリウッドの人気俳優がランドセルを愛用したことで、アメリカでは今ランドセルが人気になっている。日本でランドセルが生まれたのは明治時代。学用品をたくさん収納できるようパーツは150以上。丈夫さが求められるため手作業で丹念に作られる。今世界から熱い視線が注がれている日本のデザインを育んだものに迫る。
オープニング映像。
高級ブランドを束ねる企業グループが世界の職人技を探す会社を立ち上げた。マッテオ・デ・ローサCEOは日本に責任者として盛岡さんを送り込んだ。フランス人と日本人の両親のもとパリで育った盛岡さんは、日本各地の優れた職人技を探し2年で100を超す工房を訪ねた。京丹後の民谷螺鈿では絹織物に貝殻を織り込んだ螺鈿織を見せてもらった。削り出した貝殻を模様を描くように和紙に貼っていく。図柄が完成した和紙を絹糸と同じ細さに裁断し、貝殻が割れないように織っていく。盛岡さんはこの技に世界の職人技をかけ合わせて新しい製品を開発できないか考えている。
デ・ローサCEOは日本のデニムに注目。デニム生地が作られている岡山・井原市では江戸時代に織物を作るようになった。山からの水は綿花の栽培に加え、織物の糸を染めるときにも欠かせない恵みだった。参勤交代で各地に広まり、土地の名産になった。現在井原を含む一体では日本のデニムの9割以上生産している。盛岡さんは井原のデニム会社クロキに定期的に通っている。工場の中ではシャトル織機と呼ばれる日本製機織り機が稼働していた。織る前に人の手で糸を通さなければならず時間がかかるが、生地の張り具合を細かく調整できる。品質をデ・ローサCEOの会社が高く評価し、2023年にパートナーシップ協定を結んだ。盛岡さんはこの会社とともに新製品の開発を進めている。
香港の美術館「M+」では家具やファッションなど多様なデザインを展示している。日本のデザインに幅広く見られる特徴は、職人の手仕事が大事な役割を果たしていることだという。手仕事を大切にしてきた日本で育まれた伝統的な遊びである折り紙も最先端の研究に生かされ始めている。スタンフォード大学のアリア氏は探査機のデザインを考えるときに折り紙を使っている。2023年にミラノで開かれたデザインの祭典では折り紙に着想を得た日本のジャケットが話題を集めた。通常は体の形に合わせて裁断し縫い合わせるため、体型に合わせていくつものサイズを作る必要がある。この服は1つのサイズをどんな体型の人でも着ることができるデザイン。生み出した宮前氏は、チームの新人に入社後2年間折り紙をするよう指示している。
日本人がデザインした山東省の美術館「水の美術館」は湖を渡るように作られ、建物の床は水面とほぼ同じ高さ。中には湖の水が流れ込んでいる。ハーバード大学のクアン・セン氏は人工物と周囲の風景が溶け合った姿は手仕事ともに日本のデザインを特徴づける点だと語る。水の美術館を建築した石上氏は人間の活動の場と自然環境をうまく作ることで人間の居場所が豊かになっていくと話した。障子を開けると庭と人つながりになる伝統的な日本家屋から着想を得ていた。
日本のデザインを担ってきたのは多くの無名の職人たちだった。柳宗悦たちの民藝運動は、大量生産が進む時代に各地で衰退していく手仕事の価値を訴えた。大分・日田市で作られる小鹿田焼の始まりは農作業の傍ら地元の土で普段使いの器を作ったことで、家ごとにその手仕事を受け継いできた。鮮やかな絵の具はないが、使う人を楽しませようと身近な道具で工夫した。小鹿田焼は今、世界各地に出荷されている。フランスやアメリカでは割れた器を漆と金で修復する金継ぎがブームになっている。新型コロナで夫を亡くした女性は息子に「壊れても継ぎ直せば美しくなる」と金継ぎの皿をプレゼントされ、夫の死に向かき合う力をもらったと話した。
盛岡さんは芭蕉布という織物を作っている沖縄の集落を訪れた。芭蕉布の素材は以前沖縄に自生していた糸芭蕉。服を作る素材が限られていたため、先人たちは工夫を重ねて糸芭蕉から糸を作り出した。指で繊維を裂き太さを揃えては結い合わせる手仕事で、今この作業ができる職人は40人ほど。職人は年々減っている。日本のデザインから未来を切り拓くため世界の若者も動き始めている。東京大学のオリガミラボでは中国や韓国などから留学生が集まり、先端工学に発展させる理論を学んでいる。
エンディング映像。
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