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「ノーザンパイク」 のテレビ露出情報

フィンランドから岐阜県の山奥へ移住してきた、クヤンスー・ヨニさん。ヨニさんは薪割りをして、タケノコの収穫へ。隣の顔なじみのおじいさんに一緒に行こうと声をかけるが「タケノコはまだ」と言われてしまい、少し早かった様子。そこへ、次女・深宥さんが帰宅。日本に移住すると聞いた時どう思ったかと聞くと、「父が人じゃない何かに見えた」「私の今までの人生ぶち壊すなよ」と思ったと辛辣な言葉を並べた。
次女・深宥さんが帰って来たところで、昼食の準備に取り掛かる。家には、長女・美聡さんもいた。壁に飾られている賞状は、長男・主慈くんが受賞したもので学校で家族に向けた手紙を綴ったもの。内容は、主慈くんが母・みかさんに向けた感謝と謝罪の言葉だった。昼食は鹿肉のシチュー、マカロニラーティッコとフィンランドの家庭料理が並んだ。普段は日本食も食べるとのことで、唐揚げや鯖の照り焼き、鯖の味噌煮などが上がっていた。また、家族5人でフィンランドに行くとしたら今は100万円ほどかかってしまうとのことだった。
一家で日本の山奥に移住して3年、今は馴染んでいる様子だが夫婦が出会ったのはフィンランドでも日本でもなかった。1975年フィンランドの工業都市タンペレで生まれ育ったヨニさん、母語がフィンランド語とスウェーデン語で高校に進学するにはどちらもできることが必須だった。学生時代に勉強が苦手だったヨニさんは高校へは行かず、フィンランドの第一次産業である林業を学ぶ専門学校へ進学した。しかし、経済危機が起こり就職難となってしまい卒業しても働く場所がなかったという。そこでヨニさんは、留学費用が安かった中国へ留学することに。国立の北京林業大学へ入学し、そこで後に妻となるみかさんと出会った。みかさんは何事にも前向きで明るいヨニさんに惹かれ、2人は2003年に結婚。その6年後、双子の主慈くんと美聡さんが誕生し、その3年後には深宥さんも生まれた。3人の子宝に恵まれフィンランドで暮らしていた。小学校卒業までフィンランドで暮らしていた長男・主慈くん、日本語は問題ないがフィンランド語は苦手で学校では特別授業も受けていた。ヨニさんもかつて言葉の問題で苦しみ高校進学を諦めたからこそ、息子の未来を案じて日本への移住を決意した。主慈くんは日本へ移住後、言葉の問題もなくなり今年4月からは公立高校へ進学。ヨニさんは都会に住むのは嫌で、国際空港から2時間以内の田舎に住みたいと探した結果、岐阜県の村を見つけたとのこと。今はフィンランドの大学職員をリモートワーカーとしてこなしており、月に1度は海外出張もあるという。

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