村上は毎朝1時間かけて、6本の革包丁を研ぎ揃える。13年、その日課を守り続けてきた。研いでおかないと落ち着かないという。村上はずっとやりたいことが見つからなかった。3浪して入学した大学を2年で中退した。きっかけはテレビで目にした靴職人の番組だった。手で何かを生み出すことに魅力を感じた。24歳で専門学校に入学すると、教官から1人の職人を紹介された。店の先代である佐藤正利さんである。吉田茂元首相や石原裕次郎さんの靴を作り、“靴の神様”と言われた職人。佐藤さんはどんな難しい依頼も決して断らなかった。村上は専門学校をやめ、佐藤さんのもとに通い、靴作りの技術を学んだ。しかし2年後、浅草の靴工房に就職した村上を待っていたのは厳しい現実だった。安く大量に生産できる靴がますます主流になり、手仕事の需要は激減していった。ある日、佐藤さんが亡くなったという知らせが届いた。線香を上げに行くと、家族は店を閉めるつもりだ話していた。村上はもう1人の友人とともに店を継ぐことにした。しかし、先代の客のほとんどは継続して来てくれなかった。友人は1か月で店を去った。身の振り方を考えていたとき、近所の女性が訪ねてきた。すり減ったヒールを修理してほしいという依頼。他人が作った靴を直すことに気が進まなかったが、村上は生活のためと割り切ってそれを引き受けた。しかし、これまで学んだ男性ものの革靴とはことなる構造で、ヒールの外し方すらわからなかった。「他の店に頼んでください」と未完成の靴を渡すと、それでも女性はお礼を言ってくれた。村上は顔を上げることができなかった。環境や周りの要因に責任を押し付け、向き合ってこなかった自分に気付かされた。師である佐藤さんの姿を思い出し、生き残るために「修理」に全力で向き合おうと思った。村上は靴の修理を看板に掲げ、どんな依頼でも引き受けると決めた。半端な自分を認め、依頼主の思いを汲み取り応えることだけに全てを注いだ。その日々を13年続け、村上のもとには修理の依頼が殺到するようになった。
住所: 神奈川県横浜市神奈川区松本町3-26-3
URL: http://www.hudsonkutsuten.com/
URL: http://www.hudsonkutsuten.com/