長岡まつり大花火大会が開催される前日の8月1日夜10時30分に白菊3発が打ち上がる。伝説の花火師と呼ばれた嘉瀬誠次さんが20年前に始めて以来、毎年欠かさず行われている。戦後に嘉瀬さんはシベリア抑留を経験した。帰国した嘉瀬さんはシベリアで亡くなった戦友たちを忘れることはなかったという。1990年7月にハバロフスクで真っ白な花火を打ち上げ、戦友を弔ったのが白菊の始まりだった。生前の嘉瀬さんは「世界中の爆弾を全て花火に変えたい」と話していたという。嘉瀬さんが打ち上げた花火を作品に描いた山下清も「みんなが爆弾なんか作らないで、綺麗な花火ばっかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」と話している。山下の甥・浩さんによると、山下はドラマのイメージとは異なり、旅先で絵を描いたことはなく、絵は帰宅してから思い出しながら描いたという。山下の驚異的な記憶力は特別な才能だったと語った。