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「ビガー」 のテレビ露出情報

中村アンと陣内智則はキーレスエントリーは昭和にはあったとしたが正解した。昭和60年にHondaから発売されたアコードとビガーの一部にキーレスエントリーが導入されていた。リモコンのボタンを押してドアの施錠と開錠を行うが当時のものは赤外線式だった。今の時代は電波なので20~30mまで操作可能だが、当時は50センチほどまで近づかないと反応しなかった。その後昭60年になって日産が電波式へ。7代目スカイラインに導入されたカードエントリーシステムは電池の入った薄いカードを近づけると車が電波を感知して鍵の開け閉めが可能に。次に東京ホテイソンらは昭和にはすでにノート型パソコンがあったとしたが、正解した。昭和61年にPC‐98LTが発売した。当時はまだノートパソコンという言葉も生まれておらずノートのように折りたたみができ、膝の上にのせて作業ができるということからラップトップパソコンとして使用された。現在同じNECのノート型パソコンは軽いもので879gだったが昔のラップトップパソコンは3.8キロ。そのためか二代目モデルには取っ手がついていてた。また処理速度も現在のパソコンの640分の1程度。
次に中村アンらはリモートワークを選択。その結果昭和にすでにしていた人がいたという。リモートワークとはオフィスから離れた場所で業務を行うこと。アナログだった昭和の時代にある人物がリモートワークしていた。昭和64年の新聞記事にテントの前のテーブルに小型のパソコンを置いて電話線につなぎ、自然の音を聞きながら企画書をパソコンで東京に送っていたという記事が発見された。昭和の時代にリモートワークをしていた中村さん。その記事は本当だと語った。昭和59年には会議室から画面に向かい先方と会議している映像も残されていた。しかしその映像は数秒に一回静止画が更新されるタイプのものだった。しかしホワイトボードの内容が先方でも確認可能になっていたりと、かなり高い技術が使用されていた。
次に東京ホテイソンらは温水洗浄便座としたが昭和にあった。温水洗浄便座が発売されたのは昭和42年にまだカラーテレビがほとんど普及されていなかった時代に、すでに温水洗浄便座が市場に出回っていた。伊奈製陶が発売したサニタリイナ61は床面にあるペダルを足で踏むと温水が噴射してペダルを離すと温風が吹き出す仕組み。発売価格は28万円で当時の大卒の初任給が3万円の時代でかなりの高価格だった。次に陣内智則と中村アンはコインパーキングを選択した。

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