- 出演者
- 後藤輝基(フットボールアワー) ホラン千秋 陣内智則 森口博子 中村アン たける(東京ホテイソン) ショーゴ(東京ホテイソン)
昭和・平成の絶対王者を最新データで何位かを当てる。今回はヒット曲の歌詞によく出る言葉ランキングをあてる。昭和58年のヒット曲の歌詞を分析し、その中で多く使われている歌詞の言葉をランキングにしたもの。その1位は恋だった。早見優の夏色のナンシーや葛城ユキのボヘミアンなど。令和2年のランキングでTOP10に入っているのは?をあてる。
スタジオ予想では「恋」は令和2年のトップ10にまで入っていると予想。その結果平成9年まではTOP10に入っていたがそれ以降は圏外。第11位に。
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- anoCHE.R.RYDEPARTURESglobeLINDBERGMISIAOfficial髭男dismPretenderYUIちゅ、多様性。つつみ込むように…ゆずエレファントカシマシスターあるばむタッチチェッカーズプリンセス プリンセス世界でいちばん熱い夏中森明菜今すぐKiss Me今宵の月のように北ウイング卒業夏色岩崎良美斉藤由貴水の星へ愛をこめて涙のリクエスト
平成に12年以降になってくると第1位は「今」。BUMP OF CHICKENの天体観測やB’zのultra soulなどにでてくる。それまで圏外だった「恋」は平成24年になり突然第5位にランクイン。その理由に秋元康プロデュースの48グループのヒット曲が続々誕生したため。しかしその後「恋」は平成29年になって17位と圏外にで不正解に。
「恋」は平成29年になって17位と圏外に。この年代になると「世界」や「未来」などメッセージ性の強い歌詞の曲がランクイン。そして令和2年までに「恋」はTOP10に入っていないという結果に。
昭和には今の時代に便利なものがすでにあった。8つの項目の中で昭和にあったものをあててもらう。まずはリモートワーク。昭和といえばパソコンがなく、連絡手段は電話で書類も手書き。パソコンを使ったリモートワークをしていた人がいた?次にキーレスエントリー。昭和の時代ではドアを締めたらカギでロックするのが当たり前の時代。こドアロックピンを下げるとドアが閉まるのでカギを車内においたまま中に入れないということがよくあった。次に温水洗浄便座。昭和のトイレといえば和式で和式は上のタンクの紐を引いて水を流す仕組み。次にノート型パソコン。昭和のパソコンはデスクトップパソコンが主流だった。次に500ミリリットルのペットボトル。80年代のコンビニの飲料コーナーでは350ミリリットル缶が主流でペットボトルは1.5リットルなど大きなものしかないようにみえた。次にアウトレットモールは昭和では、洋服などの買い物はデパートが主流だった。バーゲンともなるとお客が押し寄せて商品の取り合いが行われることも多かったがそんな中で型落ち商品などを安く買うことのできるアウトレットモールがすでにあった!?次にコインパーキング。昭和の時代路駐が多発。レッカーで強制撤去されることも多かった。次に道の駅。昭和は全国に続々と高速道路がオープンしていたがSAやPAは建設ラッシュに。これらのものが昭和にあったかを2チームに分かれ交互に答えていく。
中村アンと陣内智則はキーレスエントリーは昭和にはあったとしたが正解した。昭和60年にHondaから発売されたアコードとビガーの一部にキーレスエントリーが導入されていた。リモコンのボタンを押してドアの施錠と開錠を行うが当時のものは赤外線式だった。今の時代は電波なので20~30mまで操作可能だが、当時は50センチほどまで近づかないと反応しなかった。その後昭60年になって日産が電波式へ。7代目スカイラインに導入されたカードエントリーシステムは電池の入った薄いカードを近づけると車が電波を感知して鍵の開け閉めが可能に。次に東京ホテイソンらは昭和にはすでにノート型パソコンがあったとしたが、正解した。昭和61年にPC‐98LTが発売した。当時はまだノートパソコンという言葉も生まれておらずノートのように折りたたみができ、膝の上にのせて作業ができるということからラップトップパソコンとして使用された。現在同じNECのノート型パソコンは軽いもので879gだったが昔のラップトップパソコンは3.8キロ。そのためか二代目モデルには取っ手がついていてた。また処理速度も現在のパソコンの640分の1程度。
次に中村アンらはリモートワークを選択。その結果昭和にすでにしていた人がいたという。リモートワークとはオフィスから離れた場所で業務を行うこと。アナログだった昭和の時代にある人物がリモートワークしていた。昭和64年の新聞記事にテントの前のテーブルに小型のパソコンを置いて電話線につなぎ、自然の音を聞きながら企画書をパソコンで東京に送っていたという記事が発見された。昭和の時代にリモートワークをしていた中村さん。その記事は本当だと語った。昭和59年には会議室から画面に向かい先方と会議している映像も残されていた。しかしその映像は数秒に一回静止画が更新されるタイプのものだった。しかしホワイトボードの内容が先方でも確認可能になっていたりと、かなり高い技術が使用されていた。
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次に東京ホテイソンらは温水洗浄便座としたが昭和にあった。温水洗浄便座が発売されたのは昭和42年にまだカラーテレビがほとんど普及されていなかった時代に、すでに温水洗浄便座が市場に出回っていた。伊奈製陶が発売したサニタリイナ61は床面にあるペダルを足で踏むと温水が噴射してペダルを離すと温風が吹き出す仕組み。発売価格は28万円で当時の大卒の初任給が3万円の時代でかなりの高価格だった。次に陣内智則と中村アンはコインパーキングを選択した。
次に陣内智則と中村アンはコインパーキングを選択したが昭和にはなかったで不正解。初めて登場したのは平成3年の東京台東区に生まれたタイムズ上野。バブル崩壊と共に都内に空き家ができたことでその空き地を利用するためにコインパーキングが広まった。その数は増えていき。タイムズパーキングだけでも1万8000件以上。当時の精算機はクレカもお札も使用できず100円玉と500円玉しか使用できなかった。その近くには自動販売機が設置されていた。現在は様々な決済に対応しているが現在も自動販売機が設置されているコインパーキングも多い。次に道の駅を選択した東京ホテイソンら。道の駅は昭和にはないとしたが正解。平成5年にはじめて登場した。新潟県新潟市の道の駅 豊栄が道の駅の発祥だという。その後1200箇所以上に増えた。
「青島くんはいじわる」の番組宣伝。
中村アンと陣内智則はアウトレットモールは昭和にあると予想したがないが正解。現在日本に32箇所あるというアウトレットモール。その一番最初が平成5年に誕生した埼玉県ふじみ野市のアウトレットモール・リズム。東武東上線のふじみ野駅が開業しファミリー層をターゲットにオープン。工場や売店の余った商品や型落ち品を格安で販売していた。次に東京ホテイソンらは500ミリリットルペットボトルは昭和になかったとしたが昭和にあったが正解。昭和52年にはキッコーマンから500ミリリットルのしょう油が登場。当時ペットボトルの清涼飲料水は食品衛生法により販売ができなかった。その中で販売できたのは調味料のみ。その5年後に飲料のペットボトルも認められたが大きいサイズのものだけ。平成8年になるとペットボトルのリサイクルが本格化し500mlが販売された。優勝したのは森口博子&東京ホテイソンチーム。
この番組は秋から番組名を変更してTHE世代感として放送されるとの番組宣伝。
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