最後の特攻隊を写した写真の中に大木正夫さんの姿があった。大木さんとともに出撃した川野和一さんは敵が見つからずに引き返し、燃料切れで不時着して生還した。川野さんらは玉音放送を聞いていないといい、放送から4時間後に沖縄への特攻を命じられたという。大木さんは特攻に行かなくても良いとなったというが、自分たちだけ生き残るのは承知できないとなって特攻へ向かったという。大木さんを含めた18人が戦死。不時着して生還したのは5人。アメリカ軍の被害は記録がない。大木さんの親友・神馬さんは「国民が喜ぶなら犠牲になってもいい。だから特攻に行ったと思う」などと話した。最後の特攻隊の親族の道脇さんは「心に決めて悔いはないかもしれない。でも待っていた人がいっぱいいたと思う」などと話した。