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「フォークランド紛争」 のテレビ露出情報

熊本県北部の御代志駅へ。ここから熊本と福岡の県境付近へ。40分かけて車で向かうと山道に入ったがそこに外国人を発見した。ジカン アダラコーリンズさんはイギリスから縁もゆかりもない熊本県の山奥に移住してきた。妻の由紀子さんと国際結婚夫婦だがその生活に密着。100羽近くいる鶏を飼育するジカンさんはスーパーで廃棄になったレタスをもらい餌にし、他にも合鴨を飼育している。合鴨米は水田に合鴨のヒナを放し飼いにし虫の退治や除草などをさせて育てたお米を育てる。卵やにんにく、米は自給自足で、また窯に巻きをくべて向かった先には手作りの五右衛門風呂が。
さらにキッチンはジカンさんが自分で作ったという。囲炉裏があり毎日の昼食づくりもジカンサンが担当している。またヤマメを捌いていたが料理上手だが料理人ではない。現在日本のある職業についているというがそれは真言宗の僧侶をしていた。自宅でとれたヤマメに岩塩をまんべんなくまぶしていくが、ハーブにこだわりその中から何を使うかと悩むほどこだわっている。自家製合鴨米を使用するがハーフのバジルとレモン、トマトをヤマメの中へ。それをアルミホイルで包み炭火で焼いていく。それを調理するのは薪ストーブ。たっぷり煮込んだ出汁でスープも作り、鶏肉、玉ねぎを入れてじっくり煮込んでいく。また自宅でとれたての卵を使用しスープの中へ。こうしてヤマメのハーブご飯詰めと自家製卵スープが完成した。
1956年にジカンさんはイギリスのバースで3人兄弟の長男として生まれたが養護施設で育ったという。その理由は母が銃で父を撃ってしまったためでその時ジカンさんは3歳、弟は2歳、妹は1歳だった。母の動機は父の宗教的にも許せない行動をしたためだったというが父は一命をとりとめた。しかしその事件がきっかけで一家はバラバラに。辛い幼少期を過ごしたせいか、ジカンさんは自分で美味しい物を作れるようになりたいと考え、大学で調理師免許を取得し、軍隊で調理場担当になったが軍隊は食べ物に困らず嬉しかったという。18歳で軍隊の試験をうけて看護師に。しかしここで軍隊に入ったが1982年のにおきたフォークランド紛争というイギリスとアルゼンチンの紛争で戦地に向かったが兵士たちが亡くなり心を傷め入院した。
転機になったのは入院中のこと。ジカンさんは非常勤のナースと出会ったがそのナースが日本人だったという。日本の寺や仏教の話を聞いた時に興味を持ち、その紹介で九州のお寺へ。すると疲弊仕切っていたジカンさんの心を癒やす美しいと感じた光景に出くわした。それは日本の空の色。青空の色が大好きだという。曇りの日が多く、グレーになることが多いイギリスの空に比べ日本の青々とした美しい空を見て心が救われたという。また自分が好きではなかったがこの出来事で自分を好きになれたという。自分のような困った人を助けたいと熊本のお寺に弟子入りをし、そんな時に妻と出会い結婚。結婚後、修行をした熊本県で移住先をさがし、熊本県の山奥の集落にたどり着いた。今はこの暮らしが気に入っているという。

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