津田梅子はアメリカから帰国すると、日本語を全く覚えておらず、家父長制度、結婚制度に首を傾げる。また、女子留学生は就職機会に恵まれなかったなか、津田は岩倉使節団の1人だった伊藤博文の家で住み込みのバイトを経験。24歳の時、教育研修という名目で有給を貰い、再びアメリカへ留学する。当時、生物学が最先端だったといい、研究論文がイギリスの学術雑誌に掲載。日本人女性として初の快挙だった。欧米を訪問した際、ヘレン・ケラー、ナイチンゲールとも対面を果たしている。35歳で女子英学塾を創立。
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