フェンシングはアテネで開かれた第1回オリンピックの9つの競技の一つ。日本は1952年ヘルシンキ五輪から参加し本格的な強化のきっかけとなったのは2000年シドニー五輪。すべての種目で初戦・2回戦敗退すると協会は危機感を募らせ大胆な強化策を打ち出す。男子フルーレ日本代表ヘッドコーチにオレグ・マツェイチュクを招聘。練習拠点近くに7人の特別強化選手を下宿させるなど家賃・食費などを協会が負担し異例の500日合宿を敢行。成果が出たのは2008年北京五輪。太田雄貴は男子フルーレで日本史上初の銀メダルを獲得。フェンシングの認知度アップに繋がった。北京五輪でのメダルを機に練習環境は大きく改善。2012年ロンドン五輪では男子フルーレ団体が銀メダルを獲得。その強さは別種目の選手たちを刺激し、2021年東京五輪では男子エペ団体が金メダルに輝いた。2024年パリ五輪では5つのメダルを獲得。