2005年10月、潮流予測担当の伊藤と織田が重大なヒントを掴んだ。黒海でき圧が下がると付近の界面が僅かに上昇。その勾配が潮の流れを生み時間差でボスポラス海峡に影響するのでは?そう考えうと潮が流れる謎の現象も説明できる。小山は国籍が入り交じる現場を「我々の目標はマルマライの完成ただ1つ。日本人もトルコ人もない。建設に力を注ぐ人は皆、マルマライ人です」という言葉で励ましていた。トルガはここで働けば自分自身のためになる、そう声を掛け現場からの悩みや声を小山に相談するようになった。2007年3月23日、地盤改良が完了。最初の沈埋函を下ろす準備が整った。伊藤は夕方潮が収まる、明日がチャンスだと断言した。夕方6時、作業確認完了。翌朝、海は静まり帰り沈埋函を降ろした。しかし傾斜計ケーブルが切れ函の正確な位置がわからなくなった。ずれを図り函を正しく置き直すには誰かが海面から立坑を下り沈埋函に潜りジャッキを操作するしかない。もし異常があれば海水が流れ込み命に関わる。そこで私が行きますと手を上げたのは木村政俊だった。木村は週に1度、横浜に残る家族とテレビ電話をつなぎ話をするのが決まりだった。作業のことは一切言わなかった。4月19日、木村は海底へ潜っていった。翌日の夕方、修正が完了した。以後、1函目を起点にトンネルは順調に延びた。海底トンネルが本当にできるらしいと街中に広まり、日本の工事関係者は街で声を掛けられるようになった。2008年9月23日、最後の11函目が降りた。その瞬間も小山は表情を変えなかった。連結を確認、完璧な仕上がりだった。2013年10月29日、マルマライは計画から4年半遅れて開通した。駅に作られた記念プレートには日本とトルコの国旗が刻まれた。