ニジェール川流域に暮らすボゾ族。1年の半分を漁に充てる。雨季の後半、部族が暮らす三角州は巨大な氾濫原になる。近くの都市モプティは交易の中心地。部族はこのあたりで唯一の専業漁民。魚の燻製や干物を作り市場で売っている。年間1万トンが集まり、海のない内陸国だが魚が食の中芯。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。暮らしの拠点となる三角州はイネの原産地。2000年前にはすでにここで稲作が行われていたとされる。米と魚という食文化は日本と共通している。人口は全体で10万人、うち4000人が暮らすジャファラベは最も漁業が盛んな村。「ボゾ」は現地語で「臭い家」を意味。魚臭い家に住むことからそう呼ばれるようになった。村にいるのは4月から9月まで。川の水位が下がり始めるとより良い漁場を求めて旅立つ。移動距離は1年で500km、ときに1000kmに及ぶことも。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁が始まるのは10月。ボゾ族の男は10歳になると親や兄弟と一緒に漁を始める。この年は水の引きが遅く、漁の始まりはすでに2週間遅れている。食事に使う「スンバラ」は木の実を発酵させて味噌状にした香辛料。唐辛子などとあわせ独特の風味を持つ調味料になる。ボゾ族の食事は昼も夜もどの家も同じ献立。魚に調味料を加え、この地方原産のコメを炊く。コメで余った汁は魚の鍋に加え、汁に含まれる栄養素を無駄にしない。食事の準備には2時間かかる。食事で使うのは右手だけ。魚の肉をコメに包み握りながら食べる。魚の消費量は日本人の2倍半。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。魚は暮らしに深く関わっている。食用油は小魚のレーから作る。できた油はタンパク質を多く含み、調味料としても使われる。油を搾ったあとのレーは干物として再利用。船は前の部分と後ろの部分が別々に作られ、紐でつなぎ合わせて完成する。村では1年に1000艘が作られる。地面に設計図を描く際、長さは足の裏の大きさで測る。完成品は全長12m。使う道具は手斧とキリだけ。このあたりは木材が乏しく、船はツギハギが多い。文字を持たない部族のため、この起源と歴史は明らかではない。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁に出る10月、船の紐を取り替えるなど点検を行う。油を塗って船板が腐るのを防ぎ、川の水が引くのを待つ。この前年は不漁。月夜の晩、若い娘が集い深夜まで踊る。漁期に頻繁に行われる催しで、旅立つ家族を見送る意味合いもある。漁は半年に及ぶ。かつては村の周辺で漁を行っていたが年々とれる魚が減り、次第に村から遠く離れたキャンプ地に行くようになった。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。キャンプ地は拠点の村から120km離れたところ。毎日漕ぎ続けて2日間かかる。2日目の朝、牛の群れを連れた牧畜民に出会った。雨季と乾季に合わせてこのあたりを移動する。ニジェール川はもともとプランクトンが少ないが、増水して牛の糞が溶けるとプランクトンが増殖する。ボゾ族は目的地に着くと木とゴザで小屋を作る。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。目的地で小屋ができると水路で魚とり。簡単な仕掛けでできるもので、おかず取り程度に女や子供が使う。男はナマズの頭を臼でつき、灌木の葉とすりつぶす儀式を行う。ナマズは最も取りたい魚で、葉は釣り針を意味する。すりつぶしたものをコーランが書かれた札に包み、お守りとして釣り糸に結びつける。初日は不漁。拠点となる村との環境の違いにより、キャンプ地で破傷風により命を落とす人も少なくない
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。ケラ地域で行われるのは古くから伝わる「ジェネ漁」。ジェネとは植物のツルで作った枠に網を被せた仕掛け。直径2m半、長さ5mはボゾ族の仕掛けとして最大。支流の川幅いっぱいに並べ、本流に帰る魚を全て捕らえる。木の杭で川底に固定するが、その作業は1日中水に浸かって行われる。この漁が最盛の12月~2月は水も冷たい。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁に出て4日目、今季初めての魚がとれた。この1日でとれた100匹近くは燻製を作るのに十分な量。キャンプ地に戻り、農耕民と物々交換する。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。とれた魚で燻製作り。まず土をこねてかまどから作り、型崩れしないようナマズを1匹ずつ丁寧に丸める。ナマズの燻製はボゾ族にとって最も貴重な現金収入。1kg400円は生魚の3倍。量の間中これを続け、それを蓄えながら旅を続ける。旅の終わりで市場で売り、拠点の村に戻る。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。暮らしの拠点となる三角州はイネの原産地。2000年前にはすでにここで稲作が行われていたとされる。米と魚という食文化は日本と共通している。人口は全体で10万人、うち4000人が暮らすジャファラベは最も漁業が盛んな村。「ボゾ」は現地語で「臭い家」を意味。魚臭い家に住むことからそう呼ばれるようになった。村にいるのは4月から9月まで。川の水位が下がり始めるとより良い漁場を求めて旅立つ。移動距離は1年で500km、ときに1000kmに及ぶことも。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁が始まるのは10月。ボゾ族の男は10歳になると親や兄弟と一緒に漁を始める。この年は水の引きが遅く、漁の始まりはすでに2週間遅れている。食事に使う「スンバラ」は木の実を発酵させて味噌状にした香辛料。唐辛子などとあわせ独特の風味を持つ調味料になる。ボゾ族の食事は昼も夜もどの家も同じ献立。魚に調味料を加え、この地方原産のコメを炊く。コメで余った汁は魚の鍋に加え、汁に含まれる栄養素を無駄にしない。食事の準備には2時間かかる。食事で使うのは右手だけ。魚の肉をコメに包み握りながら食べる。魚の消費量は日本人の2倍半。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。魚は暮らしに深く関わっている。食用油は小魚のレーから作る。できた油はタンパク質を多く含み、調味料としても使われる。油を搾ったあとのレーは干物として再利用。船は前の部分と後ろの部分が別々に作られ、紐でつなぎ合わせて完成する。村では1年に1000艘が作られる。地面に設計図を描く際、長さは足の裏の大きさで測る。完成品は全長12m。使う道具は手斧とキリだけ。このあたりは木材が乏しく、船はツギハギが多い。文字を持たない部族のため、この起源と歴史は明らかではない。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁に出る10月、船の紐を取り替えるなど点検を行う。油を塗って船板が腐るのを防ぎ、川の水が引くのを待つ。この前年は不漁。月夜の晩、若い娘が集い深夜まで踊る。漁期に頻繁に行われる催しで、旅立つ家族を見送る意味合いもある。漁は半年に及ぶ。かつては村の周辺で漁を行っていたが年々とれる魚が減り、次第に村から遠く離れたキャンプ地に行くようになった。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。キャンプ地は拠点の村から120km離れたところ。毎日漕ぎ続けて2日間かかる。2日目の朝、牛の群れを連れた牧畜民に出会った。雨季と乾季に合わせてこのあたりを移動する。ニジェール川はもともとプランクトンが少ないが、増水して牛の糞が溶けるとプランクトンが増殖する。ボゾ族は目的地に着くと木とゴザで小屋を作る。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。目的地で小屋ができると水路で魚とり。簡単な仕掛けでできるもので、おかず取り程度に女や子供が使う。男はナマズの頭を臼でつき、灌木の葉とすりつぶす儀式を行う。ナマズは最も取りたい魚で、葉は釣り針を意味する。すりつぶしたものをコーランが書かれた札に包み、お守りとして釣り糸に結びつける。初日は不漁。拠点となる村との環境の違いにより、キャンプ地で破傷風により命を落とす人も少なくない
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。ケラ地域で行われるのは古くから伝わる「ジェネ漁」。ジェネとは植物のツルで作った枠に網を被せた仕掛け。直径2m半、長さ5mはボゾ族の仕掛けとして最大。支流の川幅いっぱいに並べ、本流に帰る魚を全て捕らえる。木の杭で川底に固定するが、その作業は1日中水に浸かって行われる。この漁が最盛の12月~2月は水も冷たい。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。漁に出て4日目、今季初めての魚がとれた。この1日でとれた100匹近くは燻製を作るのに十分な量。キャンプ地に戻り、農耕民と物々交換する。
アフリカ・マリの移動漁民ボゾ族に密着。とれた魚で燻製作り。まず土をこねてかまどから作り、型崩れしないようナマズを1匹ずつ丁寧に丸める。ナマズの燻製はボゾ族にとって最も貴重な現金収入。1kg400円は生魚の3倍。量の間中これを続け、それを蓄えながら旅を続ける。旅の終わりで市場で売り、拠点の村に戻る。
