佐藤は最期に軍事工場“No.7”の跡地へ。当時、ここでウランを採掘していた労働者たちは旧ソ連がヨーロッパから連れてきた5000人以上の戦争捕虜。彼らは鉛や他の金属を採掘していると騙され、放射性物質を含んだウラン鉱石のことは極秘さった。そして1958年、“No.7”のウラン処分場が事故で崩壊し、大量の放射性廃棄物が川に流れ込み周辺の土壌を汚染、鉱山は閉鎖されたという。入り口の廃墟は鉱山閉鎖後に行き場を失った労働者が働いたシャンデリア工場だという。そして、閉鎖から50年後、キルギス政府が管理してはいるが現在もこの場所に放射性廃棄物が埋め立てられている。