2013年、開発は六本木の雑居ビルで始まった。山田の売却益を元手にエンジニアを雇いプログラミングを開始。目標は3か月でのアプリ完成。開発メンバーには他に本職がある者やインターンの学生などが手を挙げ集ってきた。苅田直也はひたむきに世界を目指す山田の姿に引かれ入社を決めた。2013年7月2日、サービス開始。しかし初日に取り引きされた額は2万円。ダウンロード数はたったの400だった。突破口を開くため山田が誘い入れたのが小泉文明。日本で生まれたSNSミクシィの上場を手がけ、その後メルカリに参加。ミクシィは米国から来たフェイスブックに市場を奪われた。小泉はテレビCMで一気に認知度を上げようと資金集めに奔走。40社以上を回って14億5000万円を調達、CMが放送された。創業から2年。ダウンロード数は1000万を突破し市場が動き始めた。その裏で山田は世界進出の準備も進めていた。世界進出の一歩目は巨大市場、米国。責任者として石塚と富島を送り込み英語版アプリのサービスを開始。だが思うように広まらなかった。山田は人員の8割を米国版アプリの改善に充てたが日本のような爆発的な普及には至らなかった。創業5年目、日本で大問題がおきた。お金に困ってる人をターゲットに現金を出品して売る闇金のような手口がSNSで拡散。さらに盗まれた品や転売。犯罪を助長しているという指摘に会社は窮地に陥った。